・刊行:1990/9
・著者:植村清二
・出版:中央公論社
・『神武天皇―日本の建国 (中公文庫)
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皇室の始祖であり日本国家の建設者とされる神武天皇の物語は、もとより正確な史実とはいえない。
しかし、政治的事情の変化による史的事象の評価の変遷は、純粋な史学の立場からは決して好ましくはない。
歴史学者として記紀伝承を批判するとともに、考古学及び中国文献の総合的研究を通して神武伝説の背後にある邪馬台国東遷の史実を実証し、古代国家成立に関する諸問題に独自の見解を示す名著。
植村は、「邪馬台国・狗奴国・投馬国」(『史学雑誌』第64編第12号、昭和30年(1955年)12月)において、邪馬台国の位置を「九州説は確定的」としながらも、その当時まで主流だった山門郡説を否定、御井つまり「九州の福岡県久留米市・三井郡」の説を主張した。
狗奴国は熊本付近に、投馬国は薩摩郡に比定している。
また「『魏志』倭人伝の一節について」(『東方学』第二十二輯、昭和36年(1961年)7月)では、一大率は畿内の大和政権が派遣した監督官と見た。北九州は依然として独立を保持していたものの、実質的には大和政権の影響力が行使されていたとする。この考え方は、後に栗原朋信などによっても継承される。
また、邪馬台国の東遷説も唱えたという。
【関連記事】
・【邪馬台国論争】今までの研究・論争まとめ - 九州説 - 福岡県 - 東遷説
・著者:植村清二
・出版:中央公論社
・『神武天皇―日本の建国 (中公文庫)
皇室の始祖であり日本国家の建設者とされる神武天皇の物語は、もとより正確な史実とはいえない。
しかし、政治的事情の変化による史的事象の評価の変遷は、純粋な史学の立場からは決して好ましくはない。
歴史学者として記紀伝承を批判するとともに、考古学及び中国文献の総合的研究を通して神武伝説の背後にある邪馬台国東遷の史実を実証し、古代国家成立に関する諸問題に独自の見解を示す名著。
植村は、「邪馬台国・狗奴国・投馬国」(『史学雑誌』第64編第12号、昭和30年(1955年)12月)において、邪馬台国の位置を「九州説は確定的」としながらも、その当時まで主流だった山門郡説を否定、御井つまり「九州の福岡県久留米市・三井郡」の説を主張した。
狗奴国は熊本付近に、投馬国は薩摩郡に比定している。
また「『魏志』倭人伝の一節について」(『東方学』第二十二輯、昭和36年(1961年)7月)では、一大率は畿内の大和政権が派遣した監督官と見た。北九州は依然として独立を保持していたものの、実質的には大和政権の影響力が行使されていたとする。この考え方は、後に栗原朋信などによっても継承される。
また、邪馬台国の東遷説も唱えたという。
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