・刊行:1989/7
・著者:和辻哲郎
・出版:岩波書店
・『日本古代文化;埋もれた日本 和辻哲郎全集〈第3巻〉
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『日本古代文化』は著者が最も愛惜し力をこめた会心の作。1920年初版。1942年改稿版。
日本文化論の出発点となった。
『埋もれた日本』は日本文化史上の重要問題を扱った論文集。
和辻は、邪馬台国論争において、邪馬台国の位置を「九州の九州北部」に、卑弥呼を「天照大神(アマテラス)」に比定しているとされる。
和辻は、大和朝廷は邪馬台国の後継者であり、日本を統一する勢力が九州から来た。すでに九州説の始祖とも言うべき白鳥庫吉が指摘はしていたものの、体系的にまとめたものとしては、邪馬台国東遷説の始まりである。
邪馬台国の突然の消滅と大和朝廷の突然の出現、銅矛銅剣文化圏と神話との一致、即ち記紀に銅鐸文化について全く記事がないこと、などを指摘、神武東遷を史実あるいは史実に近いものとした。
栗山周一、黒板勝美、林屋友次郎、和田清、榎一雄、橋本増吉、植村清二、谷川健一、市村其三郎、坂本太郎、井上光貞、森浩一、中川成夫、金子武雄、布目順郎、安本美典、奥野正男、井沢元彦などなど、現在まで根強く語られる邪馬台国東遷説の礎を築いた。
しかし、昭和26年(1951年)の新改版において、当時の人口状況などを加味して研究し続けた結果、和辻は今までの九州説を捨て、畿内説へ転換している。その際、卑弥呼を「日の神」とし、男弟をスサノヲに比定、高天原における様々な出来事が「鬼道」と解釈されたとする。
【関連記事】
・【邪馬台国論争】今までの研究・論争まとめ - 畿内説
・弘中芳男『古地図と邪馬台国―地理像論を考える』 - 室賀信夫の地図論の徹底批判
・著者:和辻哲郎
・出版:岩波書店
・『日本古代文化;埋もれた日本 和辻哲郎全集〈第3巻〉
『日本古代文化』は著者が最も愛惜し力をこめた会心の作。1920年初版。1942年改稿版。
日本文化論の出発点となった。
『埋もれた日本』は日本文化史上の重要問題を扱った論文集。
和辻は、邪馬台国論争において、邪馬台国の位置を「九州の九州北部」に、卑弥呼を「天照大神(アマテラス)」に比定しているとされる。
和辻は、大和朝廷は邪馬台国の後継者であり、日本を統一する勢力が九州から来た。すでに九州説の始祖とも言うべき白鳥庫吉が指摘はしていたものの、体系的にまとめたものとしては、邪馬台国東遷説の始まりである。
邪馬台国の突然の消滅と大和朝廷の突然の出現、銅矛銅剣文化圏と神話との一致、即ち記紀に銅鐸文化について全く記事がないこと、などを指摘、神武東遷を史実あるいは史実に近いものとした。
栗山周一、黒板勝美、林屋友次郎、和田清、榎一雄、橋本増吉、植村清二、谷川健一、市村其三郎、坂本太郎、井上光貞、森浩一、中川成夫、金子武雄、布目順郎、安本美典、奥野正男、井沢元彦などなど、現在まで根強く語られる邪馬台国東遷説の礎を築いた。
しかし、昭和26年(1951年)の新改版において、当時の人口状況などを加味して研究し続けた結果、和辻は今までの九州説を捨て、畿内説へ転換している。その際、卑弥呼を「日の神」とし、男弟をスサノヲに比定、高天原における様々な出来事が「鬼道」と解釈されたとする。
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