古事記において最も頻出する神社は元祖・剣の神社、脈々と続く尊崇
[住所]奈良県天理市布留町384
[電話]0743-62-0900

石上神宮(いそのかみじんぐう)は、奈良県天理市布留町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「石上坐布留御魂神社(大和国・山辺郡)」に比定される式内社(名神大社・月次相嘗新嘗)。『延喜式』巻3「臨時祭」祈雨神祭条に「石上社一座」とあり、祈雨神祭85座の一座。

また、二十二社(中七社)の一社。近代社格は官幣大社、現在は神社本庁の別表神社

桜井市の大神神社が『古事記』にも最も古い時期に記された神社であれば、当宮は『古事記』において最も頻出する神社と言える。

また、11月22日に宮中でも行われる鎮魂祭を行うことで、物部神社(島根県大田市)および彌彦神社(新潟県弥彦村)とともに有名。

御祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)、布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)、布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)。いずれも剣。

布都斯魂大神は、須佐之男命八俣遠呂智を退治した時の十拳剣として登場し、第10代崇神天皇の時代に岡山県赤磐市の石上布都魂神社から移されたとされる。

布留御魂大神は『古事記』には登場しない。物部氏の祖である邇藝速日命が降臨する際に授けられたとされる天璽十種瑞宝とされる。

当宮は古くから物部氏に宝物の管理などが委ねられるなど、物部氏とゆかりが深い。物部氏が没落したためか、『古事記』以降では第40代天武天皇の時代に祟ったた。

戦国時代には織田信長の侵攻に屈するなど、歴史の表舞台からは徐々に消えていく。しかしそれでも、氏子を中心とした信仰は脈々と続き、朝廷からも一貫して高い尊崇を受け続けた。

明治16年(1883年)に神宮号宣下があり現社名になった。臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として、また、進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。

本社拝殿と、境内摂社で、式内社でもある出雲建雄神社の拝殿国宝に指定されている。やはり国宝の「七支刀」(しちしとう、ななつさやのたち)は有名。

鎌倉時代後期の文保2年(1318年)建立の楼門など、国の重要文化財に指定されているものも多い。

なお、境内摂社の出雲建雄神社が比定されている式内社「出雲建雄神社」の論社は他に、奈良市の藺生町の葛神社、都祁白石町の雄神神社がある。

【ご利益】
健康長寿、病気平癒、除災招福、百事成就(公式HP
石上神宮 奈良県天理市布留町
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石上神宮の御朱印