怨霊の古代史---蘇我・物部の抹殺
・刊行:2010/1/22
・著者:戸矢学
・出版:河出書房新社

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おおよそ七十年間に、文字通り「血で血を洗う」権力闘争がおこなわれた。殺した者が殺されて、その殺人者がさらにまた誰かに殺されるという「流血リレー」だ。

どれか一つをとっても、近現代であれば大事件となるものばかりだろう。「歴史の闇」という言い方があるが、『日本書紀』の紙背に封じ込められた古代飛鳥のそんな「闇」を本書では解き放そうと試みている。(「まえがき」より)

怨霊の時代/血塗られた飛鳥の謎/三輪君逆、穴穂部皇子、物部守屋、蘇我蝦夷・入鹿ら...反逆の連鎖で葬られた者。怨霊を御霊として祀り鎮める古代人の心性を探る。御霊信仰は平安以前、すでに飛鳥時代に萌芽する!(「帯」より)

管理人了
飛鳥時代の怨霊史。神社を軸にしているので説得力が増している。怨霊に対する考え方には賛成。個人的にはそれと前方後円墳の発生及び消滅をどのようにリンクさせ得るかを考えたい。

ただ、神社が時代とともに変容していくと指摘しているが、確かに神仏習合などの影響は小さくはないものの、根本はむしろ何も変わっていないのではないか、とも思う。

「神社に祀られているのは多くが怨霊」との指摘があるが、さらに進めて、怨霊か、怨霊化すると思われたから神社が発生した、神社で祀られているそれこそが怨霊とその時は考えられた証拠であり、その基本機能は今も続いている、と考えたい。祀る必要があったから神社が建立されたのだし、日本ではあまり偉大な人物の死後の検証というのは行われないのだから。

そう考えると、より多く祀られている神こそが、生前よほどひどい仕打ちをされた人(本書にも指摘があるように、その人当人がどう思ったかではなく、周りの人や、特にその利害関係者がどう考えたか)、ということになる。オオクニヌシ、ニギハヤヒ、そしてサルタヒコ。

そう考えると、怨霊の発生原因の一つは、見逃されがちだが、利害関係者がいること、そしてその利害関係者が大きな権力を握っていること、守るものが多いことなどがあげられる。