・所在地:大阪府高槻市郡家新町
・経緯度:北緯34度85分02.54秒 東経135度59分41.58秒

・時 期:6世紀前半
・時 代:古墳時代後期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
前方後円墳で、造営時の6世紀前半としては最大級の規模。国の史跡に指定されている。宮内庁の治定は受けていないが第二十六代継体天皇の真の陵とする説が有力で、発掘調査が可能な大王陵になる。

三島野古墳群に属し、墳丘長190メートル、二重の濠がめぐっており、内濠、外濠を含めた兆域(ちょういき)は340メートル×350メートルの釣鐘状の区画を呈し、淀川流域では最大規模の墳墓。

古墳の被葬者は、形状や埴輪等の年代的特徴、また『古事記』『日本書紀』『延喜式』など文献資料の検討から、6世紀のヤマト政権の大王墓と推定され、6世紀前半に没した継体天皇とするのが学界の定説。また、埴輪工房跡と目される新池遺跡との深い関連が指摘される。

宮内庁ではこの古墳から1.3キロメートル西にある太田茶臼山古墳(大阪府・茨木市)を継体天皇陵に治定。しかし、太田茶臼山古墳の築造は5世紀中葉と考えられており、継体天皇が没したとされる年代よりも古い時代の古墳と考えられる。

墳丘の荒廃が著しく、発掘調査の結果、慶長元年(1596年)の伏見大地震によって墳丘が地すべり性の崩壊を起こしたものと判明。高槻市では史跡公園としての整備を目指し、平成9年(1997年)以降、そのための情報を得るための発掘調査を継続的に行っている。

二重の濠を区分する内堤から形象埴輪や埴輪祭祀(はにわさいし)区が出土し、出土点数や埴輪祭祀区の規模は日本最大。埴輪祭祀区は、東西62-65メートル、南北約6メートルの広さで、家形15、柵形25、蓋形4、大刀形14、楯形1、靱(ゆき)形1、武人形2、鷹匠(たかしょう)形2、力士形2、冠帽男子1、座像男子4、巫女(みこ)形7、四足動物(馬形など)18、鶏形4、水鳥形13の合わせて113点以上が出土。

【関連サイト】
今城塚古墳 - Wikipedia

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