・所在地:広島県福山市駅家町大字中島
・経緯度:北緯34度55分34.72秒 東経133度31分23.33秒

・時 期:7世紀前半
・時 代:古墳時代後半
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
備後地方最大の前方後円墳で、前方部を西南西に置いている。後円部の大型の横穴式石室が調査され、国内では他に例がない、向かい合った2頭の龍がそれぞれ玉をくわえているデザインの金銅装双龍環頭柄頭など、さまざま遺物が出土したことで有名。

墳丘は裾部分に墳丘を画する狭い周濠を設けており、墳丘長は68メートル、後円部径41メートル、前方部幅30メートル。前方部にも全長12.5メートルの横穴式石室があることが確認されている。墳丘には埴輪や葺石は用いられていない。

後円部の横穴式石室は両袖式で、長大な玄室と長い羨道をもつ。さらに羨門の前に石積の長い墓道を付設している。玄室の長さは6.7メートル、幅は奥壁に近いところで2.1メートル、玄門に近いところで2.6メートル、高さは奥壁付近で3.3メートル、玄門付近で3.4メートル。

羨道の長さは8.1メートル、幅は玄門部で1.6メートル、羨門部で1.9メートルで、高さは玄門部で2.2メートル、羨門部で2.6メートル。墓道部は長さ10メートルほどあり、幅はところにより3メートルほどある。

石室の用材は自然石を使用し、玄室の奥壁は1枚の大型で扁平な平石をほぼ垂直に立てている。玄室前半部には石棺の残骸があり、組合せ式石棺の底石がほぼ原位置に近い状況で遺存し、石棺の蓋石2枚や小口板2枚などが玄室内の堆積土中から、ばらばらに出土。

金銅双龍環頭柄頭、鉄刀、鉄矛、鉄鏃などの武器類、楕円形杏葉や鞍金具などの馬具類、鉄釘、刀子が出土。また土器類には土師器、須恵器が出土しており、特に須恵器は石室内各所から相当量出土している。

石室内の初葬の年代は7世紀第1四半期、その後、7世紀前半でもやや新しい時期に追葬が行なわれた可能性が大きいという。西日本で最後に築造された前方後円墳の一つと考えられる。

【関連サイト】
二子塚古墳 (福山市) - Wikipedia