・所在地:和歌山県和歌山市岩橋
・経緯度:北緯34度22分59.49秒 東経135度22分74.84秒
・時 期:6世紀前半
・時 代:古墳時代後期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の特別史跡
【概要】
国の特別史跡である岩橋千塚古墳群の井辺前山支群における盟主墳的な存在で、古墳時代後期末の前方後円墳。6世紀初めの古墳で、墳丘長88メートル、和歌山県下最大規模を有する。
1960年代には古墳としてすら認識されておらず、八幡の小さな祠のある山としての伝承が残されていたのみ。
1966年に刊行された福飯ヶ嶺(ふくいいがみね)山塊にあった古墳(井辺前山32号墳)の発掘報告に掲載された周辺の遺跡説明で、10号墳とされたのが後に井辺八幡山古墳の前方部にあたり、11号墳とされていたのが後円部に当たっており、最初は二つの円墳として扱われた。
山塊の中に造営され、盛り土も部分的に行ったもので、墳丘の大部分は自然地形の高まり、つまり山を利用している。水濠も空堀もない。
くびれ部にある造り出しから、多様な形象埴輪や装飾付須恵器とともに、底部に孔をあけた須恵器の大甕3個が並んで発掘された。また、入れ墨をした力士像人物埴輪褌をした相撲を取る、額に鉢巻きをした力士埴輪も出土している。
【関連サイト】
・井辺八幡山古墳 - Wikipedia
・経緯度:北緯34度22分59.49秒 東経135度22分74.84秒
・時 期:6世紀前半
・時 代:古墳時代後期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の特別史跡
【概要】
国の特別史跡である岩橋千塚古墳群の井辺前山支群における盟主墳的な存在で、古墳時代後期末の前方後円墳。6世紀初めの古墳で、墳丘長88メートル、和歌山県下最大規模を有する。
1960年代には古墳としてすら認識されておらず、八幡の小さな祠のある山としての伝承が残されていたのみ。
1966年に刊行された福飯ヶ嶺(ふくいいがみね)山塊にあった古墳(井辺前山32号墳)の発掘報告に掲載された周辺の遺跡説明で、10号墳とされたのが後に井辺八幡山古墳の前方部にあたり、11号墳とされていたのが後円部に当たっており、最初は二つの円墳として扱われた。
山塊の中に造営され、盛り土も部分的に行ったもので、墳丘の大部分は自然地形の高まり、つまり山を利用している。水濠も空堀もない。
くびれ部にある造り出しから、多様な形象埴輪や装飾付須恵器とともに、底部に孔をあけた須恵器の大甕3個が並んで発掘された。また、入れ墨をした力士像人物埴輪褌をした相撲を取る、額に鉢巻きをした力士埴輪も出土している。
【関連サイト】
・井辺八幡山古墳 - Wikipedia
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