・所在地:群馬県高崎市山名町
・経緯度:北緯36度27分70.24秒 東経139度02分77.24秒

・時 期:7世紀後半
・時 代:古墳時代終末期
・形 状:円墳
・特 徴:-
・指 定:国の特別史跡

【概要】
金井沢碑、多胡碑とともに「上野三碑」と称される山ノ上碑と、隣接する古墳。

山ノ上碑は、「辛已歳」とあり、天武天皇10年(681年)建碑と考えられ、上野三碑の中で一番古い。

高さ120センチ、幅50センチ、厚さ50センチの輝石安山岩に4行53文字が薬研彫りで刻まれている。書体は古い隷書体の特徴が見られる。

山ノ上碑は隣接する山ノ上古墳の墓誌であると考えられている。その内容から放光寺の僧侶・長利(ちょうり)が母の黒売刀自(くろめとじ)のために墓を建てたことがわかる。墓誌としても日本最古。「放光寺」は佐野の地にあると考えられてきたが、最近の発掘調査により、前橋市の山王廃寺の可能性が高くなった。

刻まれている文のほとんどが、長利母子の系譜で、古系譜の史料としても貴重。

山ノ上碑の東側にある、直径15メートル程の典型的な山寄せの円墳が山ノ上古墳。埴輪・葺石は確認されておらず、古墳としては終末期古墳に属するとみられる。

主体部は凝灰岩の切石積み横穴式石室で、南に開口している。全長7.4メートル・玄室長2.68メートル・幅1.75メートル・高さ1.66メートル。

山ノ上碑は本古墳の墓誌と考えられるが、石室の形態などから古墳の築造時期は石碑の建てられた681年より数十年古い年代が想定されている。そのため現在では山ノ上古墳は黒売刀自の父の墓として造られ、その後、黒売刀自が追葬されたものと考えられている。

【関連サイト】
山ノ上碑 - Wikipedia

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