・所在地:奈良県桜井市阿部672

・時 期:7世紀後半
・時 代:古墳時代終末期
・形 状:-
・特 徴:-
・指 定:国の特別史跡

【概要】
切石を用いた精美な石室で知られ、1923年3月7日に国の特別史跡に指定された。境内には文殊院東古墳(県史跡) も所在する。

安倍山丘陵から西北に派生する尾根を利用して築造されている。墳形は不明であるが、規模は30メートル前後であったと考えられる。

埋葬施設は切石積みの両袖式横穴式石室で、石室は全長12.5メートル、玄室長5.1メートル・高さ2.8メートル・幅2.9メートル。玄室には方形に切りそろえた花崗岩が用いられ、それを上石の目地が下石の中央にくるように横積みされている。

奥壁は5段積みで4石と3石の組み合わせ、側壁は5段で7石と6石の組み合わせになるように積まれ、石の配置が計算されている。右側壁に2カ所、左側壁に1カ所、石の目地を模擬線によって表現している。

玄室の天井は1石の巨大な石材で覆われるなど、各所に高度な技術が用いられ最も完成した石室といわれる。羨道も同じく切石で、側壁は1段1石ずつの各4石、天井は3石で構成されている。

出土遺物は知られていないが、石室の完成度から7世紀後半と推定される。

周辺には7世紀代以降連続して大型横穴式石室が築かれ、その中でもこの古墳は最も新しく位置付けられる。

規模は言うまでも無く、石材の加工技術は他の古墳にはみられない卓越したものが用いられ、被葬者の実力をうかがい知ることが出来る。

周辺には阿倍氏の氏寺とされる阿倍寺跡が存在しており、周辺は阿倍氏の支配地域だったこともあり、被葬者は阿倍氏一族、特に大化の改新後、左大臣に就任し権勢をふるった阿倍内麻呂(安倍倉梯麻呂)などが有力候補に挙げられている。

【関連サイト】
文殊院西古墳 - Wikipedia

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