・所在地:奈良県明日香村阿部山135

・時 期:7世紀末
・時 代:古墳時代終末期
・形 状:円墳
・特 徴:装飾古墳
・指 定:国の特別史跡

【概要】
亀虎古墳とも。墳丘にある石室内に壁画が発見され、高松塚古墳と共に保存事業が進められている。墳丘は小高い阿部山の南斜面に位置している。名称の「キトラ」は、「北浦」の転訛といわれる。

二段築成作りの円墳。上段が直径9.4メートル、高さ2.4メートル、テラス状の下段が直径13.8メートル、高さ90センチ。

1983年11月7日、石室内の彩色壁画に玄武が発見され、高松塚古墳に次いで二例目となる大陸風壁画古墳として注目を集めた。1998年の探査で青龍、白虎、天文図が確認され、2001年には朱雀と十二支像が確認された。

内部構造は横口式石槨で天井は家形。石槨は凝灰岩の切石を組み合わせて作られており、内部は幅約1メートル、長約2.6メートル、高さ約1.3メートル。 奥壁・側壁・天井の全面には漆喰が塗られ、壁画がほどこされている。カビなどの被害が発生していたため壁画ははぎとられて保存されている。

円墳であり、四神を描いた壁画があるなどの類似点から、高松塚古墳の「兄弟」といわれることがある。

壁画などにみられる唐の文化的影響が高松塚古墳ほどには色濃くないことから、遣唐使が日本に帰国(704年)する以前の7世紀末から8世紀初め頃に作られたと見られている。

誰が埋葬されているかは未だ判然としていない。年代などから、天武天皇の皇子、もしくは側近の高官の可能性が高いと見られている。また、金象眼が出土したことから、銀装の金具が出土した高松塚古墳の埋葬者よりも身分や地位の低い人物が埋葬されていると推測される。

所在する国営飛鳥歴史公園は、日本の歴史公園100選一つ。

【関連サイト】
キトラ古墳 - Wikipedia

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