・所在地:福岡県京都郡苅田町与原
・経緯度:北緯33度75分84.95秒 東経130度98分06.58秒
・時 期:5世紀後半
・時 代:古墳時代中期後半
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡
【概要】
周防灘を望む低台地上に所在。前方後円形の墳丘は築造当時の姿をとどめており、周濠には水をたたえ、北部九州屈指の規模を誇る。国の史跡。
昭和50年(1975年)に行われた調査の結果、墳長は全長119メートル、前方部幅82メートル、後円部径73メートルで、前方部と後円部のくびれ部両側には造り出しを設けていることが判明。
墳丘は3段築成で斜面には葺石、埴輪が存在しており、周囲の周堤・周濠を含めた全長は約140メートルに及ぶ。
後円部の横穴式石室は、入り口の羨道が狭く、玄室は長さ4.7メートル、幅3メートルで、床面が正方形プランを呈し、石障で床分けするという特徴を示しており、複数の被葬者が埋葬されていた。
石室は大型で、内面には赤色顔料が塗られ、石室内からは副葬品として四禽四乳鏡、勾玉、管玉、ガラ玉、金銅製雲珠などが出土し、築造年代は石室の構造・副葬品・埴輪などから5世紀後半とみられる。
埋葬された人物は当地の県主・国造級であると考えられている。
苅田町歴史資料館に関係資料が展示されている。
なお、同じ苅田町には、やはり推定120メートルとみられる石塚山古墳があり、畿内以外で100メートル級の前方後円墳が近くに複数あるのは珍しい。 【関連サイト】
・御所山古墳 - コトバンク
【関連記事】
・御所山古墳の発掘調査の中間報告を兼ねた歴史講座、2015年度に調査は終了予定
・経緯度:北緯33度75分84.95秒 東経130度98分06.58秒
・時 期:5世紀後半
・時 代:古墳時代中期後半
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡
【概要】
周防灘を望む低台地上に所在。前方後円形の墳丘は築造当時の姿をとどめており、周濠には水をたたえ、北部九州屈指の規模を誇る。国の史跡。
昭和50年(1975年)に行われた調査の結果、墳長は全長119メートル、前方部幅82メートル、後円部径73メートルで、前方部と後円部のくびれ部両側には造り出しを設けていることが判明。
墳丘は3段築成で斜面には葺石、埴輪が存在しており、周囲の周堤・周濠を含めた全長は約140メートルに及ぶ。
後円部の横穴式石室は、入り口の羨道が狭く、玄室は長さ4.7メートル、幅3メートルで、床面が正方形プランを呈し、石障で床分けするという特徴を示しており、複数の被葬者が埋葬されていた。
石室は大型で、内面には赤色顔料が塗られ、石室内からは副葬品として四禽四乳鏡、勾玉、管玉、ガラ玉、金銅製雲珠などが出土し、築造年代は石室の構造・副葬品・埴輪などから5世紀後半とみられる。
埋葬された人物は当地の県主・国造級であると考えられている。
苅田町歴史資料館に関係資料が展示されている。
なお、同じ苅田町には、やはり推定120メートルとみられる石塚山古墳があり、畿内以外で100メートル級の前方後円墳が近くに複数あるのは珍しい。 【関連サイト】
・御所山古墳 - コトバンク
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