宮内庁は2014年12月5日、皇族の墓として管理している大阪府岬町の淡輪(たんのわ)ニサンザイ古墳(5世紀後半)の発掘現場を報道関係者に公開しました。産経新聞が報じています。画像はグーグルアースで、淡輪ニサンザイ古墳を見たもの。
淡輪ニサンザイ古墳は、全長170メートル、後円部の直径110メートルと大規模な前方後円墳ですが、周濠の水の浸食により、墳丘が崩れるのを防ぐため護岸が検討されており、その工事に先立って行われた考古学的調査の現場公開となります。
宮内庁により「宇度墓(うどのはか)」として第十一代垂仁天皇の皇子・五十瓊敷入彦命(イニシキイリビコ)の墓に治定されている古墳です。
産経新聞によれば、学界では「水運に影響力を持つ紀伊地方(和歌山県)の首長クラスの墓とする説が有力」とありますが、それだと名称の「ニサンザイ」(陵=みささぎ、が訛ったものとされています)と矛盾します。イニシキイリビコも即位しているわけではないので、「陵」(天皇、あるいは皇后に使われるのが通例)ではないのですが。
普段は治定陵として立ち入り禁止になっているだけに、こうした動きは大きなチャンスではあります。新しい情報を朝日新聞が報じています。
それによれば、今回は古墳の裾部分を20カ所発掘。墳丘は農業用水に使われた堀の水の量を増やすために後世に削られており、築造時の全長は200メートル前後だった、とのこと。現在、造り出しは南側だけに残っていますが、当初は北側にもあったことが確認されたと言います。
南側の造り出しには墳丘表面を覆った葺き石がよく残っており、古墳本体との間から円筒形と朝顔形の埴輪が列になって出土したとも言います。
【関連記事】
・400年の伝統を破り、織田家に「信」の字が付かない跡取り - 織田家のルーツ劔神社について
淡輪ニサンザイ古墳は、全長170メートル、後円部の直径110メートルと大規模な前方後円墳ですが、周濠の水の浸食により、墳丘が崩れるのを防ぐため護岸が検討されており、その工事に先立って行われた考古学的調査の現場公開となります。
宮内庁により「宇度墓(うどのはか)」として第十一代垂仁天皇の皇子・五十瓊敷入彦命(イニシキイリビコ)の墓に治定されている古墳です。
産経新聞によれば、学界では「水運に影響力を持つ紀伊地方(和歌山県)の首長クラスの墓とする説が有力」とありますが、それだと名称の「ニサンザイ」(陵=みささぎ、が訛ったものとされています)と矛盾します。イニシキイリビコも即位しているわけではないので、「陵」(天皇、あるいは皇后に使われるのが通例)ではないのですが。
普段は治定陵として立ち入り禁止になっているだけに、こうした動きは大きなチャンスではあります。新しい情報を朝日新聞が報じています。
それによれば、今回は古墳の裾部分を20カ所発掘。墳丘は農業用水に使われた堀の水の量を増やすために後世に削られており、築造時の全長は200メートル前後だった、とのこと。現在、造り出しは南側だけに残っていますが、当初は北側にもあったことが確認されたと言います。
南側の造り出しには墳丘表面を覆った葺き石がよく残っており、古墳本体との間から円筒形と朝顔形の埴輪が列になって出土したとも言います。
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