・所在地:三重県伊勢市倭町

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・時 代:-
・形 状:-
・特 徴:-
・指 定:陵墓参考地

【概要】
倭姫命御陵とも。宮内庁により「宇治山田陵墓参考地」(被葬者候補:第十一代垂仁天皇皇女倭姫命)として管理されている。

いわゆるヤマトヒメ。古事記ではヤマトタケルの叔母として大活躍する、伊勢の神宮創建に関わる、いわば初代斎宮。

伊勢神宮内宮と豊受大神宮(外宮)との中間に位置する伊勢市倭町の間の山(あいのやま)に埋葬地と伝えられる古墳が尾上御陵と呼ばれており、昭和3年(1928年)に当時の宮内省より指定された。

また隣接する倉田山には大正11年(1922年)に内宮の別宮として倭姫宮が創建され、そこでもヤマトヒメを祀っている。ちなみに町名の倭町も、明治になってからヤマトヒメにちなみ改名された。

陵域には木々に囲まれた小高い塚がある。近くに縄文期から平安時代に至る隠岡遺跡もあり、古くからの居住地だったことが分かっている。

なお、父である第十一代垂仁天皇の陵は宝来山古墳(奈良県・奈良市)に、母ヒバスヒメの陵は佐紀陵山古墳(奈良県・奈良市)に、実兄の第十二代景行天皇の陵は渋谷向山古墳(奈良県・天理市)に、長兄のイニシキイリビコの墓は淡輪ニサンザイ古墳(大阪府・泉南郡岬町)に、それぞれ治定されている。

また、最愛の甥っ子ヤマトタケルの陵は、能褒野王塚古墳(三重県・亀山市)、大和琴弾原古墳(奈良県・御所市)、軽里大塚古墳(大阪府・羽曳野市)と三つ、治定されている。

【関連サイト】
倭姫命(やまとひめのみこと)御陵 - 伊勢志摩きらり千選

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