・所在地:奈良県大和高田市池田

・時 期:5世紀中頃
・時 代:古墳時代中期後半
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:陵墓参考地

【概要】
宮内庁により「陵西陵墓参考地」(被葬者候補:第二十三代顕宗天皇皇后難波小野女王)として管理されている。

馬見古墳群で、築山古墳群の前方後円墳で、全長75メートル、前方部幅40メートル・高さ6メートル、後円部径40メートル・高さ6メートル。築造時期は5世紀中葉以降(古墳時代中期中葉以降)。

近くには馬見古墳群の南群の盟主墓である築山古墳があり、その南200メートルに位置する。

円筒埴輪があったとされるが、内容は不明。内部施設も不明だが、西南方500メートルの小池寺西の地蔵堂および春日神社境内に同一個体とみられる竜山石製の長持形石棺の蓋石と底石があり、この古墳のものではないかとする指摘がある。

被葬者候補の難波小野王は、古事記ではナニワとあり、難波王、丘稚子王の女、石木王の女とも。憲宗天皇の皇后であるが、子はなかった、とされる。憲宗天皇の崩御後は、憲宗天皇の兄である仁賢天皇が第二十四代天皇として即位する。

なお、夫の憲宗天皇の陵は傍丘磐坏丘南陵古墳(奈良県・香芝市)が「傍丘磐坏丘南陵」として治定されているが、築山古墳も憲宗天皇の「磐園陵墓参考地」として管理されている。

【関連サイト】
狐井塚古墳