・所在地:香川県高松市牟礼町牟礼2406
・時 期:-
・時 代:-
・形 状:上円下方墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定
【概要】
宮内庁により第十二代景行天皇の皇子である神櫛王の墓として「神櫛王墓」に治定されている。
古事記にはカムクシとして記載され、木の国の酒部阿比古、宇陀酒部の祖とされるが、日本書紀では讃岐国造の祖となっており、この地に墓がある。
この墓は、明治2年(1869年)に高松藩知事の松平頼聰によって再営され、毎年、王の命日と伝える10月20日に「正辰祭」と称する祭が開かれている。
なお、父の景行天皇の陵は渋谷向山古墳(奈良県・天理市)に、母イナビノオオイラツメの陵は日岡陵(兵庫県・加古川市)に、実兄のオオウスの墓は大碓命墓(愛知県・豊田市)に、ヤマトタケルの墓は能褒野王塚古墳(三重県・亀山市)、大和琴弾原古墳(奈良県・御所市)、軽里大塚古墳(大阪府・羽曳野市)に、それぞれ治定されている。
【関連サイト】
・神櫛皇子 - Wikipedia
【関連記事】
・城山神社(坂出市) - 讃岐開拓の神と陵墓伝承、菅原道真が降雨を祈願した明神原の地
・大麻神社(善通寺市) - 忌部の社、古代から連なる宮司家、飛鳥朝奉斎の神像が重文
・櫛梨神社 - 琴平町の如意山南西例に鎮座、神櫛皇子が奉斎し、死後に奉斎された式内社
・時 期:-
・時 代:-
・形 状:上円下方墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定
【概要】
宮内庁により第十二代景行天皇の皇子である神櫛王の墓として「神櫛王墓」に治定されている。
古事記にはカムクシとして記載され、木の国の酒部阿比古、宇陀酒部の祖とされるが、日本書紀では讃岐国造の祖となっており、この地に墓がある。
この墓は、明治2年(1869年)に高松藩知事の松平頼聰によって再営され、毎年、王の命日と伝える10月20日に「正辰祭」と称する祭が開かれている。
なお、父の景行天皇の陵は渋谷向山古墳(奈良県・天理市)に、母イナビノオオイラツメの陵は日岡陵(兵庫県・加古川市)に、実兄のオオウスの墓は大碓命墓(愛知県・豊田市)に、ヤマトタケルの墓は能褒野王塚古墳(三重県・亀山市)、大和琴弾原古墳(奈良県・御所市)、軽里大塚古墳(大阪府・羽曳野市)に、それぞれ治定されている。
【関連サイト】
・神櫛皇子 - Wikipedia
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