・所在地:兵庫県加古川市加古川町大野

・時 期:-
・時 代:-
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により第十二代景行天皇皇后の播磨稲日大郎姫命(はりまのいなびのおおいらつめ)の陵として「日岡陵」に治定されている。

「日岡山陵」「褶墓古墳」とも。

景行天皇の先の皇后で、古事記にはイナビノオオイラツメとして記載がある。オオウス、オウス(後のヤマトタケル)などの母。死後に景行天皇は後の皇后を立て、その子らの中に第十三代成務天皇がいる。第十四代天皇は、ヤマトタケルの子である仲哀天皇

古事記に記載はないが、『播磨国風土記』に皇后が亡くなったため、日岡山へ葬るため遺体を乗せて印南川(加古川)を渡っていた時、大きなつむじ風が吹いて船は転覆、川に落下。その後、遺骸は見つからず、「ひれ」と「くしげ」だけが見つかり、これを葬ったので「ひれ墓」とも呼ばれている。

なお、夫の景行天皇の陵は渋谷向山古墳(奈良県・天理市)に、子のオオウスの墓は大碓命墓(愛知県・豊田市)に、ヤマトタケルの墓は能褒野王塚古墳(三重県・亀山市)、大和琴弾原古墳(奈良県・御所市)、軽里大塚古墳(大阪府・羽曳野市)に、カムクシの墓は神櫛王墓(香川県・高松市)に、それぞれ治定されている。

【関連サイト】
日岡御陵(ヒオカゴリョウ) - 加古川観光協会

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