・所在地:宮崎県西都市大字三宅
・時 期:5世紀前半
・時 代:古墳時代中期中盤
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:陵墓参考地
【概要】
宮内庁により「女狭穂塚陵墓参考地」(被葬候補者:サクヤ)として陵墓参考地に治定されている。
全長約180メートル、後円部直径約96メートル、後円部高さ15メートルで、九州地方最大の前方後円墳。くびれ部には造出を持っているため、畿内式。
主体部分である被葬者の埋葬施設は、まだ発掘調査がなされていない。
西都原古墳群に属するが、周囲にある特別史跡「西都原古墳群」の指定範囲には入っていない。付近の男狭穂塚ともども、宮内庁の管理下にある。
夫のニニギは可愛山陵古墳(鹿児島県・薩摩川内市)が「可愛山陵」として治定され、子の山幸彦の陵は高屋山上陵古墳(鹿児島県・霧島市)に、孫のウガヤフキアエズの陵は吾平山上陵古墳(鹿児島県・鹿屋市)に、それぞれ治定されており、この三陵を神代三山陵と総称する。
【関連サイト】
・女狭穂塚 - Wikipedia
【関連記事】
・穂北神社 - 天孫に愛されなかった磐長姫命が笠狭から去った地、山陵や円墳も
・西都原古墳群で2例目となる方墳を確認、1例目の女狭穂塚の陪塚と類似点、現地説明会も
・『古事記ガール 日向路を旅する4』 - 西都原古墳群から、海幸・山幸の説話へ
・北郷泰道『古代日向・神話と歴史の間』 - 男狭穂塚・女狭穂塚の被葬者は?
・時 期:5世紀前半
・時 代:古墳時代中期中盤
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:陵墓参考地
【概要】
宮内庁により「女狭穂塚陵墓参考地」(被葬候補者:サクヤ)として陵墓参考地に治定されている。
全長約180メートル、後円部直径約96メートル、後円部高さ15メートルで、九州地方最大の前方後円墳。くびれ部には造出を持っているため、畿内式。
主体部分である被葬者の埋葬施設は、まだ発掘調査がなされていない。
西都原古墳群に属するが、周囲にある特別史跡「西都原古墳群」の指定範囲には入っていない。付近の男狭穂塚ともども、宮内庁の管理下にある。
夫のニニギは可愛山陵古墳(鹿児島県・薩摩川内市)が「可愛山陵」として治定され、子の山幸彦の陵は高屋山上陵古墳(鹿児島県・霧島市)に、孫のウガヤフキアエズの陵は吾平山上陵古墳(鹿児島県・鹿屋市)に、それぞれ治定されており、この三陵を神代三山陵と総称する。
【関連サイト】
・女狭穂塚 - Wikipedia
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