・所在地:宮崎県西都市大字三宅

・時 期:5世紀前半
・時 代:古墳時代中期中盤
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:陵墓参考地

【概要】
宮内庁により「男狭穂塚陵墓参考地」(被葬候補者:ニニギ)として陵墓参考地に治定されている。

全長約175メートル、後円部直径約132メートル、後円部高さ約18メートルで、日本最大の帆立貝形古墳。

墳丘は三段築成で造られており、周囲には幅約20メートルの内側は深く外側が浅い2重の周濠がある。

主体部分である被葬者の埋葬施設は、未調査、未発掘。

西都原古墳群に属するが、周囲にある特別史跡「西都原古墳群」の指定範囲には入っていない。付近の女狭穂塚ともども、宮内庁の管理下にある。

ニニギの陵としては、別に、宮内庁により可愛山陵古墳(鹿児島県・薩摩川内市)が「可愛山陵」として治定されている。別に、北川陵墓参考地がある。

【関連サイト】
男狭穂塚 - Wikipedia

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