奈良県奈良市山陵町326
北緯34度69分81.48秒 東経135度78分93.12分
訪問日:2014年10月17日
ヒシアゲ古墳からヒバスヒメの陵に向かう途中に鎮座されていました。
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ヒバスヒメ陵を拝むような場所に鎮座しています。もともとヒバスヒメ陵が神功皇后陵と考えられてきたこともあったので、この場所に八幡神社ができた、とのことですが。ご由緒です。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。ただしかすれていて読めないですが。 書かれている内容は趣旨、下記の通りです。
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御祭神は、天照皇大神、八幡大神、春日大明神
社殿創建は不詳だが 天正4年(1576年)、大職冠鎌足公の末裔超昇寺兵部小輔氏が息子弘盛とともに 一家の安栄を祈るため奉納された祈願文が保存されており、当神社が超昇寺氏の厚い信仰を受けていた古社と知られる。社殿に向かって左後方の杉は 天正19年(1591年)豊臣秀吉公が 三韓征伐の際戦捷を祈願し、国運隆盛を祀して手植えせられし由緒ある神木であり 古くから氏子の尊崇が厚い。
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アマテラス、応神天皇、アメノコヤネ。アメノコヤネは藤原氏の祖神、由緒通り、藤原氏の一族による創建なのでしょう。八幡大神には応神天皇の母である神功皇后も習合されている場合がありますが、この神社では明確に八幡大神は応神天皇(誉田別命)、と明記されています。
神功皇后の陵として勘違いされていたのは、ヒバスヒメ陵のすぐ西隣りにある第十三代成務天皇陵だったと思います。それとも、中世にはヒバスヒメ陵が神功皇后陵と思われていた時期があった、ということなのでしょうか。でなければ、神功皇后が祀られてもいないのに、秀吉が唐入りの祈願をする、というのもうなずけないですし。 境内です。左右に灯籠が綺麗に並びます。 参道左手にあった御神木。秀吉お手植えの杉は、社殿後方ですので、違うのでしょうね。 拝殿です。 奥に本殿がうかがえます。この当たりの建物は、延宝5年(1677年)のものとも。 石碑。 ヒバスヒメ陵への参拝前に、ヒバスヒメ陵をお参りする形で鎮座されている山上八幡神社。実際には神功皇后ですが、古くから神功皇后が、つまり古事記の記述が、豊臣秀吉さえも影響を受け、こうして残されている、歴史の重みを感じます。 古事記紀行2014 > (12)神功皇后陵 > 山上八幡神社
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・【古事記紀行2014】(12)古代最強のおっかさん・神功皇后ももちろん忘れずに
・山陵八幡神社 - 神功皇后陵に隣接する丘の上にある、タマヨリがともに祀られる社
北緯34度69分81.48秒 東経135度78分93.12分
訪問日:2014年10月17日
ヒシアゲ古墳からヒバスヒメの陵に向かう途中に鎮座されていました。
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ヒバスヒメ陵を拝むような場所に鎮座しています。もともとヒバスヒメ陵が神功皇后陵と考えられてきたこともあったので、この場所に八幡神社ができた、とのことですが。ご由緒です。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。ただしかすれていて読めないですが。 書かれている内容は趣旨、下記の通りです。
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御祭神は、天照皇大神、八幡大神、春日大明神
社殿創建は不詳だが 天正4年(1576年)、大職冠鎌足公の末裔超昇寺兵部小輔氏が息子弘盛とともに 一家の安栄を祈るため奉納された祈願文が保存されており、当神社が超昇寺氏の厚い信仰を受けていた古社と知られる。社殿に向かって左後方の杉は 天正19年(1591年)豊臣秀吉公が 三韓征伐の際戦捷を祈願し、国運隆盛を祀して手植えせられし由緒ある神木であり 古くから氏子の尊崇が厚い。
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アマテラス、応神天皇、アメノコヤネ。アメノコヤネは藤原氏の祖神、由緒通り、藤原氏の一族による創建なのでしょう。八幡大神には応神天皇の母である神功皇后も習合されている場合がありますが、この神社では明確に八幡大神は応神天皇(誉田別命)、と明記されています。
神功皇后の陵として勘違いされていたのは、ヒバスヒメ陵のすぐ西隣りにある第十三代成務天皇陵だったと思います。それとも、中世にはヒバスヒメ陵が神功皇后陵と思われていた時期があった、ということなのでしょうか。でなければ、神功皇后が祀られてもいないのに、秀吉が唐入りの祈願をする、というのもうなずけないですし。 境内です。左右に灯籠が綺麗に並びます。 参道左手にあった御神木。秀吉お手植えの杉は、社殿後方ですので、違うのでしょうね。 拝殿です。 奥に本殿がうかがえます。この当たりの建物は、延宝5年(1677年)のものとも。 石碑。 ヒバスヒメ陵への参拝前に、ヒバスヒメ陵をお参りする形で鎮座されている山上八幡神社。実際には神功皇后ですが、古くから神功皇后が、つまり古事記の記述が、豊臣秀吉さえも影響を受け、こうして残されている、歴史の重みを感じます。 古事記紀行2014 > (12)神功皇后陵 > 山上八幡神社
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