奈良県奈良市法華寺町
訪問日:2014年10月17日午後
バイパスを超えると、巨大な周濠とその中に浮かぶ陵墓だった。
宇和奈辺・小奈辺古墳、いわゆるウワナベ古墳です。
仁徳天皇の後の皇后である八田若郎女(やたのわきいらつめ)、日本書紀では八田皇女、矢田皇女とも。いわゆるヤタノの陵と推定される、陵墓参考地です。 ヤタノは、第十五代応神天皇の皇女で、母はヤカワエ。兄に、皇太子に指名された和紀郎子がおり、妹に後述するメドリがいます。つまり、応神天皇の皇子である仁徳天皇(母は皇后ナカツヒメ)とは異母ながら兄妹の関係にあたります。
古事記では、仁徳天皇の皇后イワノが旅行中に、仁徳天皇がヤタノに手を付け、浮気する、という場面から登場します。仁徳天皇の好色さを示す女性の一人、ということになります。 その浮気を知ったイワノが激怒、旅行先から直接、史上初(空前絶後?)の皇后の家出が行われます。この家出に焦った仁徳天皇は平謝り、結局は家出先までイワノを迎えに行くことで、家出騒動は終結します。
しかし、仁徳天皇のヤタノへの愛は変わりません。一人寂しく佇んでいるであろうヤタノに愛の歌を送ります。ヤタノもそれに応えて、歌を返します。古事記において、ヤタノの登場はここまでです。 日本書紀には少し違った話が伝わっています。応神天皇崩御後、大山守命の反逆を阻止した皇太子・和紀郎子は、皇位を大雀命に譲ろうとしますが、大雀命も受けず、お互い皇位を譲り合います。
埒が明かないと思った和紀郎子は自身が本当に身を引く、つまり自殺を選択します。その際、遺言として、大雀命に実妹のヤタノを後宮に容れてほしい、と残します。和紀郎子が薨去して、大雀命が即位、仁徳天皇です。 イワノを立后した仁徳天皇ですが、元来の女好きもあってか、いや、和紀郎子の遺言を実行しようとして、ヤタノを妃にしようとします。これに強硬に反対したイワノ。そのためヤタノを抱くことができません。そんな中、イワノが旅行に出かけます。この後は古事記とほぼ一緒。
その娘の兄から託されていたの、禁止されていたがゆえに仁徳天皇も“爆発”した、というのが想定できるストーリー仕立てです。
しかし、イワノは家出先で亡くなった、とされます。そのため、仁徳天皇はヤタノを改めて立后します。さて、次いで、女好き仁徳天皇はヤタノの実妹であるメドリを抱きたくなりました。しかし、メドリは応神天皇の皇子の一人ハヤブサとすでにデキていて、フラれます。 ちょっと怒った仁徳天皇ですが、ヤタノも妹を守りたくて、処罰しないよう頼みました。とはいっても、自分の夫が自分の妹を召したのに、焼き餅ひとつ焼かずに妹を守ろうとする寛容さ。さて、その要望は容れられましたが、その後、ハヤブサとメドリは反逆を企てたとして、後に討伐されます。
この仁徳天皇、ハヤブサ、メドリの応神天皇の皇子・皇女の三角関係は古事記にも出てくる、というか、古事記の中の話としてはすこぶる面白い話の一つですが、古事記の話の中ではヤタノが出てこないで、皇后はイワノのまま、そのイワノが登場してくることになっています。 古事記にしても、日本書紀にしても、存在感が大きい、という方ではないかもしれません。比較対象が、先の皇后である、家出もしちゃったイワノ、とか、祖母である、朝鮮半島まで行っちゃった神功皇后、とか、だからかもしれませんが。
それはともかく、これらの説話から漏れ伝わってくるのは、慎み深さ、可憐さ、温厚さ、温和さ、従順さ、などでしょうか。それとは関係なく、この陵がヤタノのものであれば、陵は盛大に作られた、ということになります。なんせ、日本の古墳の中でも特大といってもいい規模です(古墳ランキング)。 まあ、夫がかの、日本最大どころか、陵域としては世界最大の大仙陵古墳(大阪府・堺市)というとんでもない陵に埋葬されているとされる仁徳天皇なので、それと比べると半分ぐらいのスケールではあるのですが、それでも仁徳天皇のヤタノへの愛を感じざるを得ない、そんな古墳でした。 古事記紀行2014 > (11)イワノ陵 > ウワナベ古墳 【関連記事】
・【古事記紀行2014】(11)古代最強のツンデレ・イワノにはきっちりお墓参り"
訪問日:2014年10月17日午後
バイパスを超えると、巨大な周濠とその中に浮かぶ陵墓だった。
宇和奈辺・小奈辺古墳、いわゆるウワナベ古墳です。
仁徳天皇の後の皇后である八田若郎女(やたのわきいらつめ)、日本書紀では八田皇女、矢田皇女とも。いわゆるヤタノの陵と推定される、陵墓参考地です。 ヤタノは、第十五代応神天皇の皇女で、母はヤカワエ。兄に、皇太子に指名された和紀郎子がおり、妹に後述するメドリがいます。つまり、応神天皇の皇子である仁徳天皇(母は皇后ナカツヒメ)とは異母ながら兄妹の関係にあたります。
古事記では、仁徳天皇の皇后イワノが旅行中に、仁徳天皇がヤタノに手を付け、浮気する、という場面から登場します。仁徳天皇の好色さを示す女性の一人、ということになります。 その浮気を知ったイワノが激怒、旅行先から直接、史上初(空前絶後?)の皇后の家出が行われます。この家出に焦った仁徳天皇は平謝り、結局は家出先までイワノを迎えに行くことで、家出騒動は終結します。
しかし、仁徳天皇のヤタノへの愛は変わりません。一人寂しく佇んでいるであろうヤタノに愛の歌を送ります。ヤタノもそれに応えて、歌を返します。古事記において、ヤタノの登場はここまでです。 日本書紀には少し違った話が伝わっています。応神天皇崩御後、大山守命の反逆を阻止した皇太子・和紀郎子は、皇位を大雀命に譲ろうとしますが、大雀命も受けず、お互い皇位を譲り合います。
埒が明かないと思った和紀郎子は自身が本当に身を引く、つまり自殺を選択します。その際、遺言として、大雀命に実妹のヤタノを後宮に容れてほしい、と残します。和紀郎子が薨去して、大雀命が即位、仁徳天皇です。 イワノを立后した仁徳天皇ですが、元来の女好きもあってか、いや、和紀郎子の遺言を実行しようとして、ヤタノを妃にしようとします。これに強硬に反対したイワノ。そのためヤタノを抱くことができません。そんな中、イワノが旅行に出かけます。この後は古事記とほぼ一緒。
その娘の兄から託されていたの、禁止されていたがゆえに仁徳天皇も“爆発”した、というのが想定できるストーリー仕立てです。
しかし、イワノは家出先で亡くなった、とされます。そのため、仁徳天皇はヤタノを改めて立后します。さて、次いで、女好き仁徳天皇はヤタノの実妹であるメドリを抱きたくなりました。しかし、メドリは応神天皇の皇子の一人ハヤブサとすでにデキていて、フラれます。 ちょっと怒った仁徳天皇ですが、ヤタノも妹を守りたくて、処罰しないよう頼みました。とはいっても、自分の夫が自分の妹を召したのに、焼き餅ひとつ焼かずに妹を守ろうとする寛容さ。さて、その要望は容れられましたが、その後、ハヤブサとメドリは反逆を企てたとして、後に討伐されます。
この仁徳天皇、ハヤブサ、メドリの応神天皇の皇子・皇女の三角関係は古事記にも出てくる、というか、古事記の中の話としてはすこぶる面白い話の一つですが、古事記の話の中ではヤタノが出てこないで、皇后はイワノのまま、そのイワノが登場してくることになっています。 古事記にしても、日本書紀にしても、存在感が大きい、という方ではないかもしれません。比較対象が、先の皇后である、家出もしちゃったイワノ、とか、祖母である、朝鮮半島まで行っちゃった神功皇后、とか、だからかもしれませんが。
それはともかく、これらの説話から漏れ伝わってくるのは、慎み深さ、可憐さ、温厚さ、温和さ、従順さ、などでしょうか。それとは関係なく、この陵がヤタノのものであれば、陵は盛大に作られた、ということになります。なんせ、日本の古墳の中でも特大といってもいい規模です(古墳ランキング)。 まあ、夫がかの、日本最大どころか、陵域としては世界最大の大仙陵古墳(大阪府・堺市)というとんでもない陵に埋葬されているとされる仁徳天皇なので、それと比べると半分ぐらいのスケールではあるのですが、それでも仁徳天皇のヤタノへの愛を感じざるを得ない、そんな古墳でした。 古事記紀行2014 > (11)イワノ陵 > ウワナベ古墳 【関連記事】
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