奈良県奈良市法蓮町609-1
訪問日:2014年10月17日午後
第十一代垂仁天皇の先の皇后サオビメゆかりですが、それは今回置いといて、狭岡神社そのものについて。
ご由緒、というかご祭神です。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 ご祭神は、下記の通り。
・若山咋之神
・若年之神
・若沙那売之神
・彌豆麻岐之神
・夏高津日之神
・秋比売之神
・久々年之神
・久々紀若室葛根之神
ものすごくメジャーな神々ではありませんが、古事記にも登場する重要な神々です。ハヤマトノカミとオオゲツヒメの御子神である八柱になります。
ハヤマトノカミは、スサノヲから連なり、オオトシノカミの子。オオゲツヒメは、古事記において五穀の起源の説話に登場し、スサノヲに惨殺されるという経歴がある女神です。
つまり、ご祭神は、ワカヤマクイノカミ、ワカトシノカミ、ワカサナメノカミ、ミヅマキノカミ、ナツタカノヒノカミ、アキビメノカミ、ククトシノカミ、ククキワカムロツナネノカミの神々となります。山、穀物、田植え、水・灌漑、夏、秋、稲、そして新築家屋。
おかしなものも混ざっている、と思われるかもしれませんが、基本的にすべて農業、食物に関係する神々。最後の新築家屋は、豊かに実った作物の収穫が終わった時に、神々に捧げるための祭りを行う家が造られることに由来しているわけです。
つまり、五穀豊穣を司る神社となるわけです。鳥居をくぐります。 参道を進みます。左手に光の差す空間があることが分かりますが、ここがサオビメゆかりの地です。妄想が入ったサオビメゆかりの地の紹介についてはこちらから。 サオビメゆかりの史跡を過ぎて、さらに参道を進みます。 途中、笠女郎の歌碑が右手にありました。万葉集に収録されている歌です。 君に恋ひいたもすべなみ奈良山の小松が下に立ち嘆くかも
古事記もそうですが、万葉集も恋歌の宝庫。恋歌の歌い手として有名な笠女郎、その中でも最大の秀歌がこれ、とされています。つまり万葉集の恋歌NO.1。大伴家持を想い、家持の住居があったこの地・佐保を思い描きながら歌ったもので、叶わぬ恋、悲恋の歌とされます。
笠女郎やその恋歌、この歌そのものの解説は、こちらに詳しくあります。古事記も万葉集も日本の最古級の古典。その中で恋バナや恋歌が咲き乱れていることは、古代日本の性格や性質を考えるうえで、見過ごせない要素になりそうです。
とにかく、古代の我々の祖先も、「恋」を極めて重要視していた証、ですね。
さらに進むと、今度は左手に天満宮の標石が。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 「永享7年(1435年)に天満宮遷宮」、室町時代。悠久の歴史を感じます。さて、境内が見えてきました。 本殿に向け、ご参拝。 左手から本殿を望みます。 右上方から本殿や境内を望みます。 戻り、狭岡神社を後にする時、鳥居をもう一度振り返りました。 サオビメゆかりの地として有名ではありますが、まさに歴史あり。サオビメもそうですが、笠女郎も、悲しい結末のある恋、叶わぬ恋と、何とも縁のある神社です。そもそもは五穀豊穣ですが、これも「生産」という意味では、また、五穀豊穣によりより多くの人が生き延びられるという古代の切実な願いと合わせて考えれば、やはり男女の恋にもつながります。
日本の神様は、自分が成し遂げられなかったことを、参拝してくれた人に対して実現してくれる、という性質を持っているとされます。これも世界的には極めて珍しい現象ですが、いかに日本が神々と共存してい生きてきたか、生きているかを示す事象でもあるわけです。
その意味で言えば、この悲恋の歴史に満ち溢れた狭岡神社は、人々の恋の成就を切に願ってくれる神々がいらっしゃる、ということになり、最強の恋のパワースポットと言えるかもしれません。 古事記紀行2014 > (9)狭岡神社 - 狭岡神社 【関連記事】
・【古事記紀行2014】(9)垂仁天皇の最初の皇后サオビメゆかり、伝承地の狭岡神社
訪問日:2014年10月17日午後
第十一代垂仁天皇の先の皇后サオビメゆかりですが、それは今回置いといて、狭岡神社そのものについて。
ご由緒、というかご祭神です。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 ご祭神は、下記の通り。
・若山咋之神
・若年之神
・若沙那売之神
・彌豆麻岐之神
・夏高津日之神
・秋比売之神
・久々年之神
・久々紀若室葛根之神
ものすごくメジャーな神々ではありませんが、古事記にも登場する重要な神々です。ハヤマトノカミとオオゲツヒメの御子神である八柱になります。
ハヤマトノカミは、スサノヲから連なり、オオトシノカミの子。オオゲツヒメは、古事記において五穀の起源の説話に登場し、スサノヲに惨殺されるという経歴がある女神です。
つまり、ご祭神は、ワカヤマクイノカミ、ワカトシノカミ、ワカサナメノカミ、ミヅマキノカミ、ナツタカノヒノカミ、アキビメノカミ、ククトシノカミ、ククキワカムロツナネノカミの神々となります。山、穀物、田植え、水・灌漑、夏、秋、稲、そして新築家屋。
おかしなものも混ざっている、と思われるかもしれませんが、基本的にすべて農業、食物に関係する神々。最後の新築家屋は、豊かに実った作物の収穫が終わった時に、神々に捧げるための祭りを行う家が造られることに由来しているわけです。
つまり、五穀豊穣を司る神社となるわけです。鳥居をくぐります。 参道を進みます。左手に光の差す空間があることが分かりますが、ここがサオビメゆかりの地です。妄想が入ったサオビメゆかりの地の紹介についてはこちらから。 サオビメゆかりの史跡を過ぎて、さらに参道を進みます。 途中、笠女郎の歌碑が右手にありました。万葉集に収録されている歌です。 君に恋ひいたもすべなみ奈良山の小松が下に立ち嘆くかも
古事記もそうですが、万葉集も恋歌の宝庫。恋歌の歌い手として有名な笠女郎、その中でも最大の秀歌がこれ、とされています。つまり万葉集の恋歌NO.1。大伴家持を想い、家持の住居があったこの地・佐保を思い描きながら歌ったもので、叶わぬ恋、悲恋の歌とされます。
笠女郎やその恋歌、この歌そのものの解説は、こちらに詳しくあります。古事記も万葉集も日本の最古級の古典。その中で恋バナや恋歌が咲き乱れていることは、古代日本の性格や性質を考えるうえで、見過ごせない要素になりそうです。
とにかく、古代の我々の祖先も、「恋」を極めて重要視していた証、ですね。
さらに進むと、今度は左手に天満宮の標石が。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 「永享7年(1435年)に天満宮遷宮」、室町時代。悠久の歴史を感じます。さて、境内が見えてきました。 本殿に向け、ご参拝。 左手から本殿を望みます。 右上方から本殿や境内を望みます。 戻り、狭岡神社を後にする時、鳥居をもう一度振り返りました。 サオビメゆかりの地として有名ではありますが、まさに歴史あり。サオビメもそうですが、笠女郎も、悲しい結末のある恋、叶わぬ恋と、何とも縁のある神社です。そもそもは五穀豊穣ですが、これも「生産」という意味では、また、五穀豊穣によりより多くの人が生き延びられるという古代の切実な願いと合わせて考えれば、やはり男女の恋にもつながります。
日本の神様は、自分が成し遂げられなかったことを、参拝してくれた人に対して実現してくれる、という性質を持っているとされます。これも世界的には極めて珍しい現象ですが、いかに日本が神々と共存してい生きてきたか、生きているかを示す事象でもあるわけです。
その意味で言えば、この悲恋の歴史に満ち溢れた狭岡神社は、人々の恋の成就を切に願ってくれる神々がいらっしゃる、ということになり、最強の恋のパワースポットと言えるかもしれません。 古事記紀行2014 > (9)狭岡神社 - 狭岡神社 【関連記事】
・【古事記紀行2014】(9)垂仁天皇の最初の皇后サオビメゆかり、伝承地の狭岡神社
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