いわれのたまほのみや。磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)のこと。

第二十六代継体天皇の皇居。

伝承地は、奈良県桜井市池之内。

507年に樟葉宮(くすばのみや、大阪府枚方市楠葉丘の交野天神社付近が伝承地)で即位。511年から筒城宮(つつきのみや、現在の京都府京田辺市多々羅都谷か)に遷す。518年から弟国宮(おとくにのみや、現在の京都府長岡京市今里付近か)に遷す。526年から磐余玉穂宮へ、とされる。

第十七代履中天皇の宮「伊波礼之若桜宮」と同じか。稚桜神社から約300メートル西南、池の内の村はずれに土地の人々が「おやしき」と呼んでいる小高い丘がある。ここが継体天皇磐余玉穂宮跡だとも。

先代の第二十五代武烈天皇の皇居は長谷之列木宮、次代で子の第二十七代安閑天皇の皇居は勾之金箸宮となっている。

天皇家の系譜も参照。
袁本杼命(おほどのみこと=オホド=継体天皇)
【主な登場場面】
オヤジの敵だけど元天皇の墓を破壊しようとする顕宗天皇 止めたのは賢兄の機転

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