・所在地:大阪府藤井寺市野中2丁目
・時 期:5世紀前半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:-
【概要】
古市古墳群に属し、そのほぼ中央、第十五代応神天皇の陵とされる誉田御廟山古墳の西、墓山古墳の北に位置する前方後円墳。規模は全長約154メートル、後円部は径が約100メートル、高さ約14.1メートル、前方部は幅が約75メートル、高さ約10.1メートル。
墳丘は三段築成で、くびれ部の両側には造り出しがある。周囲に周濠と堤をめぐらし、堤の外側には区画用とみられる掘り込みが掘削されていた。現在、後円部上には神社、前方部には幼稚園があるなど、墳丘の改変が著しい。
後円部頂に板石が散乱していることから、竪穴式石槨の存在が推定される。板状の銅製品の出土が伝わっている以外、副葬品は不明。
昭和59年-60年(1984年-1985年)の発掘調査により、葺石と円筒埴輪列の存在が確認された。また、南側の造出しからは、家、蓋、盾、囲み、水鳥、鶏、馬、猪などの形象埴輪が出土。
これらの埴輪や、前方部が後円部に対して短小・低平であるという墳形上の特徴から、5世紀前半の築造と推定されている。
北に100メートルほどのところにはざみ山古墳がある。
世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「野中宮山古墳(のなかみややまこふん)」として、前方後円墳(154m)、NO.F30で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける古市古墳群のリストも参照。
【関連サイト】
・野中宮山古墳 - Wikipedia
【関連記事】
・百舌鳥・古市古墳群 - 大阪初の世界遺産登録を目指す、世界に誇る古事記時代の建造物群
・時 期:5世紀前半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:-
【概要】
古市古墳群に属し、そのほぼ中央、第十五代応神天皇の陵とされる誉田御廟山古墳の西、墓山古墳の北に位置する前方後円墳。規模は全長約154メートル、後円部は径が約100メートル、高さ約14.1メートル、前方部は幅が約75メートル、高さ約10.1メートル。
墳丘は三段築成で、くびれ部の両側には造り出しがある。周囲に周濠と堤をめぐらし、堤の外側には区画用とみられる掘り込みが掘削されていた。現在、後円部上には神社、前方部には幼稚園があるなど、墳丘の改変が著しい。
後円部頂に板石が散乱していることから、竪穴式石槨の存在が推定される。板状の銅製品の出土が伝わっている以外、副葬品は不明。
昭和59年-60年(1984年-1985年)の発掘調査により、葺石と円筒埴輪列の存在が確認された。また、南側の造出しからは、家、蓋、盾、囲み、水鳥、鶏、馬、猪などの形象埴輪が出土。
これらの埴輪や、前方部が後円部に対して短小・低平であるという墳形上の特徴から、5世紀前半の築造と推定されている。
北に100メートルほどのところにはざみ山古墳がある。
世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「野中宮山古墳(のなかみややまこふん)」として、前方後円墳(154m)、NO.F30で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける古市古墳群のリストも参照。
【関連サイト】
・野中宮山古墳 - Wikipedia
【関連記事】
・百舌鳥・古市古墳群 - 大阪初の世界遺産登録を目指す、世界に誇る古事記時代の建造物群
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