・所在地:大阪府藤井寺市国府2丁目
・時 期:5世紀中頃
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:消滅
・指 定:-
【概要】
古市古墳群に属す前方後円墳だったが、昭和30年(1955年)に道路工事により墳丘の過半が消滅し、墳丘の北側の一部が個人の居宅の庭園として残存。
墳丘長59メートル、後円部径38メートル、前方部幅21メートル。後円部に主軸と平行した 竪穴式石槨が造られており、内部に家形石棺を内蔵。石棺はすぐ近くにあった長持山古墳の2つある石棺の1つと形態が酷似しており、石材も阿蘇溶結凝灰岩で共通するものであった。
内部はすでに盗掘を受けていたが、棺内からは多数のガラス小玉や丸玉が、棺外からは金銅製三輪玉、鹿角刀装具、刀剣、鉄鏃、2領の3角板鋲留短甲、馬具などが出土。
道路拡幅に伴う大阪府教育委員会による1981年、2000年の発掘調査では後円部の裾部や周濠の一部とともに、円筒埴輪、朝顔形埴輪、家型埴輪、鶏形埴輪が出土しており、市ノ山古墳と同時期の5世紀中葉と考えられている。
また2009年にも同教育委員会により発掘調査されており、笠形埴輪と盾形埴輪、円筒埴輪などの破片が出土。埴輪は土師質のものと須恵質のものがあり須恵質のものが目立つ。円筒埴輪は市ノ山古墳外堤のものと共通する特徴を持ち、共通の埴輪窯から供給されていた可能性が指摘されている。
世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「唐櫃山古墳(からとやまこふん)」として、帆立貝形墳(59m)、NO.F11で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける古市古墳群のリストも参照。
【関連サイト】
・唐櫃山古墳 - Wikipedia
【関連記事】
・百舌鳥・古市古墳群 - 大阪初の世界遺産登録を目指す、世界に誇る古事記時代の建造物群
・時 期:5世紀中頃
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:消滅
・指 定:-
【概要】
古市古墳群に属す前方後円墳だったが、昭和30年(1955年)に道路工事により墳丘の過半が消滅し、墳丘の北側の一部が個人の居宅の庭園として残存。
墳丘長59メートル、後円部径38メートル、前方部幅21メートル。後円部に主軸と平行した 竪穴式石槨が造られており、内部に家形石棺を内蔵。石棺はすぐ近くにあった長持山古墳の2つある石棺の1つと形態が酷似しており、石材も阿蘇溶結凝灰岩で共通するものであった。
内部はすでに盗掘を受けていたが、棺内からは多数のガラス小玉や丸玉が、棺外からは金銅製三輪玉、鹿角刀装具、刀剣、鉄鏃、2領の3角板鋲留短甲、馬具などが出土。
道路拡幅に伴う大阪府教育委員会による1981年、2000年の発掘調査では後円部の裾部や周濠の一部とともに、円筒埴輪、朝顔形埴輪、家型埴輪、鶏形埴輪が出土しており、市ノ山古墳と同時期の5世紀中葉と考えられている。
また2009年にも同教育委員会により発掘調査されており、笠形埴輪と盾形埴輪、円筒埴輪などの破片が出土。埴輪は土師質のものと須恵質のものがあり須恵質のものが目立つ。円筒埴輪は市ノ山古墳外堤のものと共通する特徴を持ち、共通の埴輪窯から供給されていた可能性が指摘されている。
世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「唐櫃山古墳(からとやまこふん)」として、帆立貝形墳(59m)、NO.F11で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける古市古墳群のリストも参照。
【関連サイト】
・唐櫃山古墳 - Wikipedia
【関連記事】
・百舌鳥・古市古墳群 - 大阪初の世界遺産登録を目指す、世界に誇る古事記時代の建造物群
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