・所在地:大阪府羽曳野市誉田6丁目

・時 期:5世紀中頃
・時 代:古墳時代中期
・形 状:円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
古市古墳群に属する、径50メートル、高さ7メートルの円墳。

第十五代応神天皇の陵とされる誉田御廟山古墳の拝所の参道左手に所在。宮内庁によって応神天皇恵我之荘藻伏岡陵の域内陪塚に治定されているる。造出しが付く可能性が指摘されている。墳丘の北側にそって窪地があり、周濠があったようである。

墳丘の斜面に葺石と思われる河原石が観察できる。墳丘裾には円筒埴輪列が設けられていた。墳丘頂には形象埴輪が散布していたと報告されている。京都大学総合博物館には当古墳のものとされる家、衣蓋(きぬがさ) 盾、靫などの形象埴輪が保管されている。

宮内庁が実施した墳丘東側裾の発掘調査では円筒埴輪が出土。内部主体については不明。また、この古墳の副葬品と伝えられている出土品が誉田八幡宮に所蔵されている。嘉永元年(1848年)に掘り出されたもので 内訳は金銅製龍文透彫鞍金具2組(形状の異なる鞍金具が2セット分)、鉄地金銅張方形鏡板1点、金銅製歩揺付飾金具20点、三角板鋲留式短甲、直弧文刀装具、鉄刀、鉄鉾、片刃長頸式鉄鏃。

金銅製龍文透彫金具などの馬具は昭和27年(1952年)に一括して国宝に指定されている。これらの馬具は日本における最古の例に属し、大陸からもたらされたと考えられる。

この古墳は誉田御廟山古墳の前方部側周濠の中堤に接する場所にあるが、出土した埴輪の特徴から誉田山御廟古墳より後の時期に属すると考えられる。また、誉田八幡宮所蔵の短甲、鉄鏃は誉田御廟山古墳の陪塚であると考えられるアリ山古墳より新しい時期のものとされる。

世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「誉田丸山古墳(こんだまるやまこふん)」として、円墳(50m)、NO.F22で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける古市古墳群のリストも参照。

【関連サイト】
誉田丸山古墳 - Wikipedia

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