・所在地:大阪府藤井寺市野中

・時 期:5世紀前半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:方墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
鉄製の武器、武具、須恵器など大量の遺物が出土。古市古墳群の一部として国の史跡に指定されている方墳。一辺45メートル程度の規模とされる。

墓山古墳の後円部北側に位置しており、墓山古墳の陪塚とも推定されている。墳丘は2段に築成されている。周濠があり、葺石、円筒埴輪列、蓋(きぬがさ)、衝角付冑、囲形などの形象埴輪が存在し、墳頂部からは大量の須恵器、土師器が出土している。

墳頂部地下には組合式木棺と木櫃からなる内部主体が5列に並列して埋納されており、人体埋葬が考えられるのは第2列の木棺のみで、他の4列はすべて、副葬品埋納施設と推定される。

それらの施設からは短甲11領、冑11箇の甲冑類ほか、草摺、肩甲などの鉄製武具、鉄刀、鉄剣、鉄鏃などの大量の武器が出土している。大量の鉄製品、須恵質土器、武器・武具の副葬形態など中期古墳の研究の上で欠くことのできない内容の古墳である。5世紀前半から中葉頃の築造と考えられている。

墓山古墳の陪塚としては、ほかに向墓山古墳浄元寺山古墳、西墓山古墳、西馬塚古墳がある。また、誉田御廟山古墳の陪塚としては墓山古墳のほか、栗塚古墳東馬塚古墳などがある。

世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「野中古墳(のなかこふん)」として、方墳(37m)、NO.F32で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける古市古墳群のリストも参照。

【関連サイト】
野中古墳 - Wikipedia

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