・所在地:大阪府羽曳野市白鳥6丁目
・時 期:5世紀前半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:方墳
・特 徴:-
・指 定:-
【概要】
古市古墳群に属す方墳で、一辺37メートル。墓山古墳に隣接し、第十五代応神天皇の陵とされる誉田御廟山古墳の陪塚(である墓山古墳の陪塚)「恵我藻伏岡陵ほ号陪塚」として宮内庁に管理されている。
誉田御廟山古墳の陪塚としては、他に墓山古墳、栗塚古墳、東馬塚古墳など、また墓山古墳の5つの方墳陪塚(野中古墳、向墓山古墳、浄元寺山古墳、西墓山古墳、西馬塚古墳)も、その陪塚として含まれる場合がある。
円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形埴輪、蓋形埴輪、盾形埴輪、水鳥形埴輪などが採取されており、墳丘には埴輪の配列がされていた。葺石の存在も確認されている。
世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「西馬塚古墳(にしうまづかこふん)」として、方墳(45m)、NO.F34で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける古市古墳群のリストも参照。
【関連サイト】
・西馬塚古墳
【関連記事】
・百舌鳥・古市古墳群 - 大阪初の世界遺産登録を目指す、世界に誇る古事記時代の建造物群
・時 期:5世紀前半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:方墳
・特 徴:-
・指 定:-
【概要】
古市古墳群に属す方墳で、一辺37メートル。墓山古墳に隣接し、第十五代応神天皇の陵とされる誉田御廟山古墳の陪塚(である墓山古墳の陪塚)「恵我藻伏岡陵ほ号陪塚」として宮内庁に管理されている。
誉田御廟山古墳の陪塚としては、他に墓山古墳、栗塚古墳、東馬塚古墳など、また墓山古墳の5つの方墳陪塚(野中古墳、向墓山古墳、浄元寺山古墳、西墓山古墳、西馬塚古墳)も、その陪塚として含まれる場合がある。
円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形埴輪、蓋形埴輪、盾形埴輪、水鳥形埴輪などが採取されており、墳丘には埴輪の配列がされていた。葺石の存在も確認されている。
世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「西馬塚古墳(にしうまづかこふん)」として、方墳(45m)、NO.F34で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける古市古墳群のリストも参照。
【関連サイト】
・西馬塚古墳
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