・所在地:大阪府堺市堺区大仙町

・時 期:5世紀
・時 代:古墳時代中期
・形 状:方墳
・特 徴:-
・指 定:-

【概要】
百舌鳥古墳群に属し、第十六代仁徳天皇陵である大仙陵古墳の西南にあり、その陪塚。一辺26メートル、高さ4.6メートルの方墳。周濠の有無は不明。古くは堂亀山とも記されていた。

大仙陵古墳の陪塚としては、他に丸保山古墳収塚古墳塚廻古墳鏡塚古墳孫太夫山古墳樋の谷古墳狐山古墳竜佐山古墳永山古墳大安寺山古墳源右衛門山古墳坊主山古墳茶山古墳などがある。

墳丘は高く、2段築成がよく残るなど残存度は良好で、下段は南側が造り出し状に張り出し長方形を呈している。

昔は古墳の上に高射砲の陣地があったといわれ、頂上はかなり荒らされていて、埋葬の跡もなくなっていると考えられている。

世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「銅亀山古墳(どうがめやまこふん)」として、方墳(26m)、NO.M16で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける百舌鳥古墳群のリストも参照。

【関連サイト】
銅亀山古墳 - 堺観光ガイド

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