・所在地:鹿児島県鹿屋市吾平町
・時 期:-
・時 代:-
・形 状:-
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定
【概要】
宮内庁により、「吾平山上陵(あいらのやまのうえのみささぎ)」として、初代神武天皇の父ウガヤフキアエズと母タマヨリの陵に治定されている。これとは別に、宮崎県日南市の鵜戸神宮近くの速日峯山上も伝説地と定められ、現在、「鵜戸陵墓参考地(うどりょうぼさんこうち)」に定められ、宮内庁により管理されている。伝承地は他にも宮崎県、鹿児島県に数か所ある。
ウガヤフキアエズは、父が山幸彦として有名な火遠理命(ほおりのみこと=ホオリ)、母は竜宮城の姫であるトヨタマ。「覗くな」パターンにはまった山幸彦と、トヨタマが別々に暮らすことになったため、母の妹であるタマヨリに育てられる。
長じて、そのタマヨリと結婚、四人の子宝に恵まれる。そのうちの一人が神武天皇。古事記において、父の山幸彦は年齢や皇居なども記されているが、ウガヤフキアエズについては系譜で触れる程度であって、詳細は分かっていない。
父の山幸彦の陵は高屋山上陵古墳(鹿児島県・霧島市)に、子の神武天皇の陵は四条ミサンザイ古墳(奈良県・橿原市)に、イツセ(神武天皇の長兄で、東遷途上で戦死)の墓は竈山神社の境内にある竃山墓(和歌山県・和歌山市)に、それぞれ治定されている。
なお、祖父である天孫ニニギの陵は可愛山陵古墳(鹿児島県・薩摩川内市)に治定され、高屋山上陵古墳とともに神代三山陵と呼ばれる。
関係は、天皇家の系譜に詳しい。
【関連サイト】
・吾平山上陵古墳 - Wikipedia
【関連記事】
・鵜戸神社(鹿屋市) - 奈良期に六所大権現、鎌倉期に勅使下向、薩摩藩主が社殿を造営
・時 期:-
・時 代:-
・形 状:-
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定
【概要】
宮内庁により、「吾平山上陵(あいらのやまのうえのみささぎ)」として、初代神武天皇の父ウガヤフキアエズと母タマヨリの陵に治定されている。これとは別に、宮崎県日南市の鵜戸神宮近くの速日峯山上も伝説地と定められ、現在、「鵜戸陵墓参考地(うどりょうぼさんこうち)」に定められ、宮内庁により管理されている。伝承地は他にも宮崎県、鹿児島県に数か所ある。
ウガヤフキアエズは、父が山幸彦として有名な火遠理命(ほおりのみこと=ホオリ)、母は竜宮城の姫であるトヨタマ。「覗くな」パターンにはまった山幸彦と、トヨタマが別々に暮らすことになったため、母の妹であるタマヨリに育てられる。
長じて、そのタマヨリと結婚、四人の子宝に恵まれる。そのうちの一人が神武天皇。古事記において、父の山幸彦は年齢や皇居なども記されているが、ウガヤフキアエズについては系譜で触れる程度であって、詳細は分かっていない。
父の山幸彦の陵は高屋山上陵古墳(鹿児島県・霧島市)に、子の神武天皇の陵は四条ミサンザイ古墳(奈良県・橿原市)に、イツセ(神武天皇の長兄で、東遷途上で戦死)の墓は竈山神社の境内にある竃山墓(和歌山県・和歌山市)に、それぞれ治定されている。
なお、祖父である天孫ニニギの陵は可愛山陵古墳(鹿児島県・薩摩川内市)に治定され、高屋山上陵古墳とともに神代三山陵と呼ばれる。
関係は、天皇家の系譜に詳しい。
【関連サイト】
・吾平山上陵古墳 - Wikipedia
【関連記事】
・鵜戸神社(鹿屋市) - 奈良期に六所大権現、鎌倉期に勅使下向、薩摩藩主が社殿を造営
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