・所在地:大阪府太子町大字春日
・経緯度:北緯34度51分67.71秒 東経135度64分41.97秒

・時 期:7世紀前半
・時 代:古墳時代末期
・形 状:方墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「河内磯長原陵(こうちのしながのはらのみささぎ)」として第三十一代用明天皇の陵に治定されている。古事記には「石寸掖上、後に科長中陵に遷る」とある。石寸掖上は磐余池上陵(いわれのいけがみのみささぎ)とされるが、よく分かっていない。皇居が磐余池辺双槻宮(いわれのいけのべのなみつきのみや)とされ、以前は奈良県桜井市阿部磐余池が伝承地とされたが、現在では奈良県橿原市東池尻町が有力視されており、名称からも皇居の近くが磐余池上陵だと思われる。

磯長谷古墳群に属し、東西65メートル、南北60メートル、高さ10メートル、空壕幅7メートルの方墳で、古墳時代末期の築造と見れる。埋葬施設は横穴式石室とされる。

用明天皇は、父が第二十九代欽明天皇、同母妹に第三十三代推古天皇がいる。子にウマヤド、つまり聖徳太子がいる。

なお、父・欽明天皇の陵は梅山古墳(奈良県・明日香村)に、同母妹の推古天皇の陵は山田高塚古墳(大阪府・太子町)に、同じく実妹であるオオトモの墓は押坂内墓(奈良県・桜井市)に、それぞれ治定されている。子のウマヤドの墓は叡福寺北古墳(大阪府・太子町)にそれぞれ治定されている。

天皇家の系譜も参照。

【関連サイト】
春日向山古墳 - Wikipedia