寺戸大塚古墳 - ぶっちゃけ古事記
国の文化審議会(宮田亮平会長)は2014年11月21日、文献には登場しない謎の寺として注目されている奈良時代の「神雄寺(かみおでら)跡」(京都府木津川市)、前期古墳の痕跡がよく残る「寺戸大塚古墳」(京都市西京区、向日市)を史跡に指定するよう下村博文文部科学相に答申しました。京都府内の史跡は2件増えて84件になるといいます。京都新聞が報じています。画像は、寺戸大塚古墳のGoogleアースによる様子。

寺戸大塚古墳は、向日丘陵古墳群に属する、古墳時代前期中葉の築造とみられる前方後円墳。やや西に傾いており、全長98メートル、高さ9メートル、前方部の幅47メートル、後円部径57メートル。規模としては中規模ですが、4世紀前半とみられる築造時期が注目されます。前方後円墳の最盛期は5世紀以降。また、前方部と後円部にそれぞれ竪穴式石室を持つなど、非常に特徴的な様子を残す古墳です。今回の史跡指定を経て、さらなる調査研究の進展が望まれます。

出土物の内容から、すでに国の史跡指定を受けている、3世紀末の巨大前方後円墳・椿井大塚山古墳(京都府・木津川市)との関連も注目されます。椿井大塚山古墳は、32面もの三角縁神獣鏡が出土したことで話題になっていますが、その規模、墳丘長175メートルとされ、最古級の前方後円墳である箸墓古墳(奈良県・桜井市)には及ばないまでも、かなりの規模。

当時、この一体に、どのような権力基盤があって、生活が営まれていたのか、それが大和地方とどう関わりあっていたのか、ちょうど古事記が描く世界真っただ中、少しでも解明が進めばよいのですが。