・所在地:大阪府羽曳野市白鳥3-12-8
・時 期:5世紀初頭
・時 代:古墳時代中期
・形 状:方墳
・特 徴:-
・指 定:陵墓参考地
【概要】
宮内庁より第十五代応神天皇が眠るとされる誉田御廟山古墳「惠我藻伏崗陵」の陪塚として「恵我藻伏崗陵陪塚向墓」という陵墓参考地に指定されている。「応神天皇陵に号陪塚」とも。墓山古墳の陪塚となる。
墓山古墳の陪塚としては、他に野中古墳、浄元寺山古墳、西墓山古墳、西馬塚古墳などがある。また、誉田御廟山古墳の陪塚としては、他に栗塚古墳、東馬塚古墳などがある。
古市古墳群に属し、そののほぼ中央にある方墳。前方後円墳の墓山古墳の東に接して築造された。墳丘は上下二段に構築されており、台地先端の地形を利用し、斜面に寄せかけて墳丘を構築することで実際の盛土以上に大きく見せている。
各辺の推定長は東辺68メートル、西辺62メートル、南北両辺62メートル、高さは10メートル前後。古墳時代中期の方墳としては最大級の規模に属する。
墓山古墳の西にある浄元寺山古墳とは規模が近似し、同一の企画に基づいている可能性があるとされる。墳丘の周囲は場所によって二重の溝によって囲まれている。
発掘調査による出土遺物には形象埴輪の家、蓋、盾、水鳥などがあるがいずれも細片。円筒埴輪と朝顔形埴輪はすべてが黒斑のあるもので、5世紀初頭の時期が推定できる。
世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「向墓山古墳(むこうはかやまこふん)」として、方墳(68m)、NO.F33で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける古市古墳群のリストも参照。
【関連サイト】
・向墓山古墳 - Wikipedia
【関連記事】
・百舌鳥・古市古墳群 - 大阪初の世界遺産登録を目指す、世界に誇る古事記時代の建造物群
・時 期:5世紀初頭
・時 代:古墳時代中期
・形 状:方墳
・特 徴:-
・指 定:陵墓参考地
【概要】
宮内庁より第十五代応神天皇が眠るとされる誉田御廟山古墳「惠我藻伏崗陵」の陪塚として「恵我藻伏崗陵陪塚向墓」という陵墓参考地に指定されている。「応神天皇陵に号陪塚」とも。墓山古墳の陪塚となる。
墓山古墳の陪塚としては、他に野中古墳、浄元寺山古墳、西墓山古墳、西馬塚古墳などがある。また、誉田御廟山古墳の陪塚としては、他に栗塚古墳、東馬塚古墳などがある。
古市古墳群に属し、そののほぼ中央にある方墳。前方後円墳の墓山古墳の東に接して築造された。墳丘は上下二段に構築されており、台地先端の地形を利用し、斜面に寄せかけて墳丘を構築することで実際の盛土以上に大きく見せている。
各辺の推定長は東辺68メートル、西辺62メートル、南北両辺62メートル、高さは10メートル前後。古墳時代中期の方墳としては最大級の規模に属する。
墓山古墳の西にある浄元寺山古墳とは規模が近似し、同一の企画に基づいている可能性があるとされる。墳丘の周囲は場所によって二重の溝によって囲まれている。
発掘調査による出土遺物には形象埴輪の家、蓋、盾、水鳥などがあるがいずれも細片。円筒埴輪と朝顔形埴輪はすべてが黒斑のあるもので、5世紀初頭の時期が推定できる。
世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「向墓山古墳(むこうはかやまこふん)」として、方墳(68m)、NO.F33で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける古市古墳群のリストも参照。
【関連サイト】
・向墓山古墳 - Wikipedia
【関連記事】
・百舌鳥・古市古墳群 - 大阪初の世界遺産登録を目指す、世界に誇る古事記時代の建造物群
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