・所在地:石川県羽咋市川原町エ164
・経緯度:北緯36度89分70.39秒 東経136度77分98.27秒

・時 期:-
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により第十一代垂仁天皇の皇子イワツクワケの墓として「磐衝別命墓」に治定されている。

ただ単に御陵山古墳。全国に同じような名の古墳があるため、地名を冠して羽咋御陵山古墳と呼ばれる。また、大塚古墳とも。

羽咋古墳群に属し、墳丘長85メートル、後円部の高さ12メートルの前方後円墳で、埋葬施設は横穴式石室。出土物には勾玉、管玉などがある。

古墳時代中期から後期にかけての築造とみられている。

イワツクワケは、母がカニハタトベ。羽咋(はくい)の君、三尾の君の祖とされる。異母兄弟にイニシキイリビコ、第十二代景行天皇イコバヤワケらがいる。

古事記には記載がないが、子のイワキワケの墓が付近の羽咋大谷塚古墳に治定されている。

なお、父・垂仁天皇の陵は宝来山古墳(奈良県・奈良市)に、異母兄弟の景行天皇の陵は渋谷向山古墳(奈良県・天理市)に、イニシキイリビコの墓は淡輪ニサンザイ古墳(大阪府・泉南郡岬町)に、イコバヤワケの墓は西法華寺古墳に、それぞれ治定されている。

【関連サイト】
羽咋御陵山古墳

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