開化天皇陵「春日率川坂上陵」付近の住吉神社のご由緒 - ぶっちゃけ古事記
奈良県奈良市今辻子町

訪問日:2014年10月17日早朝

開化天皇陵を目指していたら、不覚にも道に迷い、その際通りかかったお社。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。

ご由緒を抜粋すると、下記のようになっています。
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今から千三百年前平城京が造営された時、南北の幹線道路として造られた外京五坊大路(道幅二十三米)が今辻子町の始まりである。(中略)住吉神社がいつ創建されたかは明らかではない。(中略)当時大陸との交易が盛んとなり奈良の都より役人や学者・文化人が中国方面に渡航するので、その海上の安全を祈るために海の神を祀ったと考えられる。
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このほか、文献上に現れるのは、などの記述が含まれています。

平城京とともにできた町、というのがスゴイ。

当時以前から、半島・大陸との交流は極めて盛んだった、と思われます。また、海の神、水の神への信仰も当然あったものと思われます。ただし、平城京ができることで、それらを体系的に見直し、お社にきっちり神様を祀りし、参拝するような習慣ができた、のかもしれません。

当時はちょうど記紀編纂の真っ盛り、あるいはできたてほやほやだったはずで、神への信仰機運も高まっていた、ということもあったのかもしれません。
開化天皇陵「春日率川坂上陵」付近の住吉神社 - ぶっちゃけ古事記
ご祭神は当然、住吉三神(表筒男命、中筒男命、底筒男命)、古事記にも登場するソコツツノヲノカミナカツツノヲノカミウハツツノヲノカミと、九頭明神です。

九頭明神は九頭竜(龍)、日本各地に伝承を残す龍伝説に登場する神です。平城京の九頭竜と言えば、病気根絶の神として知られます。

発掘された平城京の二条大路木簡には、奈良の南山に住む九頭一尾の大蛇に疫病(天然痘)の原因となる鬼を食べて退治してもらい、都での流行阻止を祈願したとされる文が書かれています。

この地もまさに平城京の南(東南)。通常、九頭竜は人に害をなす形で現れる方が主流ですが、ここでは人と共存し、人のために働いてくれる神様として、今でも崇められているということになります。
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