・所在地:大阪府茨木市太田3丁目
・古墳ランキング > 21位
・時 期:5世紀
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定
【概要】
宮内庁により「三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)」として第二十六代継体天皇の陵に治定されている。古事記には「三嶋之藍御陵(みしまのあいのみささぎ)」とある。
三島野古墳群に属し、墳長はおよそ230メートルで、後円部の径はおよそ140メートル、前方部の幅はおよそ150メートル。全国21位の規模。馬蹄形の周濠が巡るが、かつては二重濠であったと推定する向きもある。周囲には陪冢と考えられる小古墳も点在。
昭和61年(1986年)には外堤の、平成14年(2002年)には墳丘本体の護岸工事を前提とした発掘調査が宮内庁によって行われており、大量の円筒埴輪の他、馬形埴輪、甲冑形埴輪、水鳥形埴輪、須恵器片などが出土している。
宮内庁管理区域外では大阪府教育委員会や茨木市教育委員会によって発掘調査が行われており、外堤上の埴輪列や、陪冢に使用されていたと見られる形象埴輪などが出土している。
文献史学の立場からは、延喜式記載の所在地と異なるという問題点が早くに指摘されていた。さらに、出土埴輪の特徴は、5世紀中頃のものと考えられているもので、考古学的にも6世紀前半に没した継体天皇の陵では在り得ないという意見が多数。
この古墳から東へ1.5キロ程の所に所在する今城塚古墳(大阪府・高槻市)は、所在地および考古学的に推定される築造年代が文献に記される継体天皇陵としての条件に合致、当該期の古墳の中では隔絶した規模を持っており、こちらこそが真の継体天皇陵と考えられている。
継体天皇は、第十五代応神天皇五世の御子。第二十五代武烈天皇が子をなさずに崩御したために即位。皇統からあまりにも遠い、あるいはとってつけたような系譜とされ、新王朝説が根強い。
ただし、古事記においてはすでに終盤であり、多くの記述はない。天皇家の系譜も参照。
子の第二十七代安閑天皇の陵は高屋築山古墳(大阪府・羽曳野市)に、第二十八代宣化天皇の陵は鳥屋ミサンザイ古墳(奈良県・橿原市)に、第二十九代欽明天皇の陵は梅山古墳(奈良県・明日香村)に、それぞれ治定されている。 【関連サイト】
・太田茶臼山古墳 - Wikipedia
【関連記事】
・太田神社(茨木市) - 太田茶臼山古墳に隣接、中臣大田連の本貫地、太田遺跡
・森田克行『今城塚と三島古墳群―摂津・淀川北岸の真の継体陵 (日本の遺跡)』
・古墳ランキング > 21位
・時 期:5世紀
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定
【概要】
宮内庁により「三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)」として第二十六代継体天皇の陵に治定されている。古事記には「三嶋之藍御陵(みしまのあいのみささぎ)」とある。
三島野古墳群に属し、墳長はおよそ230メートルで、後円部の径はおよそ140メートル、前方部の幅はおよそ150メートル。全国21位の規模。馬蹄形の周濠が巡るが、かつては二重濠であったと推定する向きもある。周囲には陪冢と考えられる小古墳も点在。
昭和61年(1986年)には外堤の、平成14年(2002年)には墳丘本体の護岸工事を前提とした発掘調査が宮内庁によって行われており、大量の円筒埴輪の他、馬形埴輪、甲冑形埴輪、水鳥形埴輪、須恵器片などが出土している。
宮内庁管理区域外では大阪府教育委員会や茨木市教育委員会によって発掘調査が行われており、外堤上の埴輪列や、陪冢に使用されていたと見られる形象埴輪などが出土している。
文献史学の立場からは、延喜式記載の所在地と異なるという問題点が早くに指摘されていた。さらに、出土埴輪の特徴は、5世紀中頃のものと考えられているもので、考古学的にも6世紀前半に没した継体天皇の陵では在り得ないという意見が多数。
この古墳から東へ1.5キロ程の所に所在する今城塚古墳(大阪府・高槻市)は、所在地および考古学的に推定される築造年代が文献に記される継体天皇陵としての条件に合致、当該期の古墳の中では隔絶した規模を持っており、こちらこそが真の継体天皇陵と考えられている。
継体天皇は、第十五代応神天皇五世の御子。第二十五代武烈天皇が子をなさずに崩御したために即位。皇統からあまりにも遠い、あるいはとってつけたような系譜とされ、新王朝説が根強い。
ただし、古事記においてはすでに終盤であり、多くの記述はない。天皇家の系譜も参照。
子の第二十七代安閑天皇の陵は高屋築山古墳(大阪府・羽曳野市)に、第二十八代宣化天皇の陵は鳥屋ミサンザイ古墳(奈良県・橿原市)に、第二十九代欽明天皇の陵は梅山古墳(奈良県・明日香村)に、それぞれ治定されている。 【関連サイト】
・太田茶臼山古墳 - Wikipedia
【関連記事】
・太田神社(茨木市) - 太田茶臼山古墳に隣接、中臣大田連の本貫地、太田遺跡
・森田克行『今城塚と三島古墳群―摂津・淀川北岸の真の継体陵 (日本の遺跡)』
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