・所在地:奈良県御所市大字室

古墳ランキング > 18位 

・時 期:5世紀後半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
室大古墳時代中期前半の前方後円墳。「宮山古墳(みややまこふん)」「室宮山古墳」とも。

規模は、墳丘長238メートル、後円部径105メートル、高さ25メートル、前方部幅110メートル、高さ22メートルであり、墳丘は三段築成で周濠を巡らしている、全国第18位。

後円部頂上には二重の方形埴輪列があり、ここに楯、靭、草摺(くさずり)などの形象埴輪を外向きに並べ、その外側には倉庫や母屋などの家型埴輪四軒が一列に置かれている。

後円部上に立てられた靭(ゆぎ)埴輪は高さ147センチ、最大幅99.5センチある。

後円部頂上の二重の埴輪列の下に竪穴式石室が二カ所存在する。南側の石室が、1950年(昭和25年)に盗掘された。この石室は、東西に長い墓壙の中心部に長持形石棺を置き、花崗岩の塊石で四方を固めるなど強固に石棺を保護し、6枚の天井石で覆っている。竪穴式石室は全長5.5メートル、幅は東部で1.88メートル、西部で1.71メートル。内面に朱を塗っている。

石棺内から硬玉製管玉(くだたま)、滑石製勾玉(まがたま)とガラス製小玉が出土している。石棺の東側に管玉5個と管玉などの玉製品の他、革綴短甲の残片が出土。石棺の西側では勾玉と管玉、琴柱形(ことじけい)石製品が出土。

天井閉塞後、何らかの祭祀が執り行われたらしく、滑石製刀子、滑石製斧類、鉄製品、土器片などが出土した。石室外から神獣鏡(唐草文帯二神二獣鏡)の破片が出土したが、石棺内遺物か、石室壁に置かれていたものか判然としない。

葛城地方最大のため、この地にもゆかりの深い、かの建内宿禰(古事記での表記)の陵墓とする見方がある。『日本書紀』には、孫、あるいはひ孫にあたる玉田宿禰が武内宿禰の墓域に逃げ込んだ、とあり、『帝王編年記』では、武内宿禰の墓について「室破賀(むろはか)」と記している。「室大墓(むろのおおはか)」の名称が近似。

なお、建内宿禰の祖父にあたる第八代孝元天皇の陵は、中山塚1-3号(奈良県・橿原市) に治定されている。また、第十六代仁徳天皇の皇后となる孫娘のイワノの陵はヒシアゲ古墳(奈良県・奈良市)に、これとは別に陵墓参考地としてコナベ古墳(奈良県・奈良市)に、それぞれ治定されている。
室大墓古墳(奈良県・御所市) by Googleアース - ぶっちゃけ古事記
【関連サイト】
室大墓古墳 - Wikipedia