・所在地:大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1
・古墳ランキング > 35位
・時 期:5世紀
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:府史跡
【概要】
大阪府指定史跡に指定されている。古墳の周囲一帯は天王寺公園となっており、この古墳も公園の一部として遊歩道が整備されている。
古来荒陵、または荒陵山と呼ばれてきた同地は古墳と伝承され、ここから発掘されたとされる石棺蓋が四天王寺に伝わっている。古地図の形状からも追認され、そのため従来前方後円墳といわれてきた。
しかし昭和61年(1986年)の発掘調査の結果、埴輪や葺石などが確認されなかったことから、「古墳ではない」とする説も出た。
一方、四天王寺境内の発掘調査で埴輪などが出土しており、これがこの古墳のものではないとは言い切れない面もあり、さらなる発掘調査の進展が望まれる。
2009年の発掘調査で水銀朱を塗られた石室らしきものが発掘された、とされる。
古墳とすれば、5世紀にこの地の豪族のために作られた墓といわれ、墳丘長200メートル、全国第35位。大阪市内でも最大級の前方後円墳となるが被葬者は不明。
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では茶臼山一帯が徳川家康の本陣となり、翌慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の本陣となって「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台となったことで有名。 【関連サイト】
・茶臼山古墳 (大阪市) - Wikipedia
・古墳ランキング > 35位
・時 期:5世紀
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:府史跡
【概要】
大阪府指定史跡に指定されている。古墳の周囲一帯は天王寺公園となっており、この古墳も公園の一部として遊歩道が整備されている。
古来荒陵、または荒陵山と呼ばれてきた同地は古墳と伝承され、ここから発掘されたとされる石棺蓋が四天王寺に伝わっている。古地図の形状からも追認され、そのため従来前方後円墳といわれてきた。
しかし昭和61年(1986年)の発掘調査の結果、埴輪や葺石などが確認されなかったことから、「古墳ではない」とする説も出た。
一方、四天王寺境内の発掘調査で埴輪などが出土しており、これがこの古墳のものではないとは言い切れない面もあり、さらなる発掘調査の進展が望まれる。
2009年の発掘調査で水銀朱を塗られた石室らしきものが発掘された、とされる。
古墳とすれば、5世紀にこの地の豪族のために作られた墓といわれ、墳丘長200メートル、全国第35位。大阪市内でも最大級の前方後円墳となるが被葬者は不明。
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では茶臼山一帯が徳川家康の本陣となり、翌慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の本陣となって「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台となったことで有名。 【関連サイト】
・茶臼山古墳 (大阪市) - Wikipedia
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