・所在地:奈良県桜井市外山556

古墳ランキング > 31位
大王(オオキミ)墓候補

・時 期:3世紀末
・時 代:古墳時代前期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
所在地の地名を冠して「外山茶臼山古墳(とびちゃうすやまこふん)」とも。鳥見山古墳群に属する。

磐余の地に接した初瀬川の左岸にあり、自然丘陵を利用して築造されたもの。墳丘長207メートルの前方後円墳で、全国31位の規模。前方部が細長く、全体が柄鏡(えかがみ)形を呈する柄鏡式古墳。

3世紀末から4世紀初頭、古墳時代初期の築造で、箸墓古墳(奈良県・桜井市)に後続する時期に造営されたと思われる。古墳の存在が知られるようになったのは、戦後しばらくたってからというのも珍しい。

墳丘に埴輪を使用した痕跡がない。段築面には葺石が施されている。また、陪墳群がみられない。

平成19年(2007年)の調査で、墳丘にしみこんだ雨水を抜くための石組の地中排水溝があることが、レーダー探査によって確認された。

平成21年(2009年)の発掘調査では、石室の精査された。後円部に長さ6.7メートルの長大な木棺を納めた竪穴式石室があり、幅約1.2メートル、高さ約1.7メートルで、壁は幅30-40センチの板状の石を煉瓦のように積み重ねており、天井は12枚の巨石で塞がれている。石室全体には水銀朱(辰砂)が塗られていた。

前期古墳の副葬品の典型的組合せ、つまり、銅鏡や玉類、剣や刀などの武器類をセットにしている。破片から復元すると斜縁二神二獣鏡、方格規矩四神鏡、獣帯鏡、平縁の神獣鏡各1面、内行花文鏡3面、三角縁神獣鏡4種6面、計9種類で少なくとも13面の鏡が副葬されていた。

銅鏡の破片の中に「是」とみられる文字が書かれていたものがあり、三次元計測によって柴崎蟹沢古墳(群馬県・高崎市)で出土した正始元年(240年。正始は魏の年号)の銘文を持つ三角縁神獣鏡と一致したと発表された。これを魏志倭人伝に記載されている、魏皇帝から卑弥呼へ下賜された銅鏡100枚のうちの一つであるとする説もある。

「正始元年」の銅鏡は、柴崎蟹沢古墳のほか、竹島古墳(山口県・周南市)、森尾古墳(兵庫県・豊岡市)でも出土している。

ちなみに同年の240年を示すと思われる、実際には存在しない年号「景初四年」の銘を持つ銅鏡が、広峯15号墳(広島県・福知山市)と持田古墳群(宮崎県・児湯郡、伝承)から出土している。
桜井茶臼山古墳(奈良県・桜井市) by Googleアース - ぶっちゃけ古事記
【関連サイト】
桜井茶臼山古墳 - Wikipedia

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