・所在地:大阪府泉南郡岬町淡輪

古墳ランキング > 27位 

・時 期:5世紀中頃
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
「さいりょうこふん」と読み、西二山在古墳(にしにさんざいこふん)とも。5世紀中ごろ、古墳時代中期の築造とみられる。国の史跡に指定されている。

墳丘長210メートル、後円部直径115メートル・高さ18メートル、前方部推定幅108メートル・長さ110メートル・高さ14メートルの前方後円墳である。全国27位の規模。

墳丘は、三段築成であり、葺石で葺かれていた。西側(前方部から見て右側)に長方形の造り出しがある。周囲には、幅15メートルから35メートルの周濠がめぐっている。

外部からは、円筒埴輪、朝顔形埴輪や、蓋形・盾形・短甲形・家形埴輪といった器材埴輪が見つかっている。

後円部には、主体施設として、かつて凝灰岩製の長持形石棺の蓋石が一部露出していたが、大正11年(1922年)、国の史跡に指定された際に埋め戻された。棺の蓋の長辺側には二個の円形突起(縄架突起)があった。また、竪穴式石室の存在が推定されている。

本墳北側に2基の円墳(陪塚)が現存し、陪塚として国の史跡に指定されている。かつて、もう1基の古墳が存在し、線路の敷設時に破壊されたが、その際に提瓶2個、高杯1個、壺2個、平瓶1個、刀身断片、鉄鏃2本が出土した。

近くには宮内庁によって、第十一代垂仁天皇の皇子イニシキイリビコの墓「宇度墓」に治定されている淡輪ニサンザイ古墳がある。

この古墳をイニシキイリビコの墓とする説もある。
西陵古墳(大阪府・泉南郡岬町) by Googleアース - ぶっちゃけ古事記
【関連サイト】
西陵古墳 - Wikipedia