・所在地:岡山県岡山市北区新庄下
・古墳ランキング > 4位
・時 期:5世紀中葉
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡
【概要】
5世紀中ごろ、古墳時代中期の巨大前方後円墳。墳丘の長さ約350メートル、後円部復元径約190メートル、後円部高さ約29メートル、前方部幅215メートル、高さ25メートル。全国第4位の規模。陪塚とされる中小古墳6基とともに国の史跡に指定されている。
墳丘に立ち入りできる古墳としては日本最大。前方部の頂が壇状の高まりになり、三段築成の墳丘をもつ超巨大古墳で、岡山県では1位現在に至るまで、本格的な学術調査が行われておらず、内部は未発掘。特徴として、墳丘の長さに対して後円部の割合が大きい。
周濠は近年その存在が確認されており、幅20メートル程度とのこと。
被葬者は不明だが、古事記でも散見される吉備地方、そこの一大領主、大豪族の陵墓、あるいは中央のヤマト政権が造った、被葬者も中央の大王クラス、との説もある。
なお、総社市にも同音で、この古墳に次いで岡山県下2位(全国9位)の規模を誇る作山古墳(つくりやまこふん)があり、地元では造山古墳は「ぞうざん」、作山古墳は「さくざん」と区別して呼んでいる。
陪塚は、榊山古墳(造山第1号墳)、造山第2号墳、造山第3号墳、造山第4号墳、千足古墳(造山第5号墳)、造山第6号墳からなる。ただし、一部のこれらの古墳の中には、造山古墳とは築造年代にずれが生じており、陪塚とするのは不適切との見方もある。 【関連サイト】
・造山古墳 (岡山市) - Wikipedia
【関連記事】
・門脇禎二『古代を考える 吉備』 - ヤマト王権に匹敵する勢力、吉備路探訪に便利な遺跡案内
・古墳ランキング > 4位
・時 期:5世紀中葉
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡
【概要】
5世紀中ごろ、古墳時代中期の巨大前方後円墳。墳丘の長さ約350メートル、後円部復元径約190メートル、後円部高さ約29メートル、前方部幅215メートル、高さ25メートル。全国第4位の規模。陪塚とされる中小古墳6基とともに国の史跡に指定されている。
墳丘に立ち入りできる古墳としては日本最大。前方部の頂が壇状の高まりになり、三段築成の墳丘をもつ超巨大古墳で、岡山県では1位現在に至るまで、本格的な学術調査が行われておらず、内部は未発掘。特徴として、墳丘の長さに対して後円部の割合が大きい。
周濠は近年その存在が確認されており、幅20メートル程度とのこと。
被葬者は不明だが、古事記でも散見される吉備地方、そこの一大領主、大豪族の陵墓、あるいは中央のヤマト政権が造った、被葬者も中央の大王クラス、との説もある。
なお、総社市にも同音で、この古墳に次いで岡山県下2位(全国9位)の規模を誇る作山古墳(つくりやまこふん)があり、地元では造山古墳は「ぞうざん」、作山古墳は「さくざん」と区別して呼んでいる。
陪塚は、榊山古墳(造山第1号墳)、造山第2号墳、造山第3号墳、造山第4号墳、千足古墳(造山第5号墳)、造山第6号墳からなる。ただし、一部のこれらの古墳の中には、造山古墳とは築造年代にずれが生じており、陪塚とするのは不適切との見方もある。 【関連サイト】
・造山古墳 (岡山市) - Wikipedia
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