・所在地:大阪府堺市百舌鳥本町3丁目

・時 期:5世紀後半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
百舌鳥古墳群に属し、そのほぼ中央、大仙陵古墳の南、上石津ミサンザイ古墳の東、御廟山古墳の西に位置する前方後円墳。国の史跡に指定されている。

全長約146メートル、後円部径約90メートル、高さ約11.5メートル、前方部幅約99メートル、高さ約10.5メートル。百舌鳥古墳群では8番目の大きさ。

墳丘は3段に築かれ、南側に造り出しがある。主体部の構造や副葬品などは不明。台地の南端に位置するため、周濠の南側には大規模な堤が築かれている。陪塚は数基あったとされるが、善五ヱ門古墳のみが現存している。

昭和30年(1955年)頃に後円部から出土した冑の埴輪は堺市の文化財保護のシンボルマークになっている。

1999年頃から、古墳東南部の雑木林に住んでいたと思われる狸が造成に追われて古墳内に移り住み、2004年11月に新聞やニュースで報道された。その時は11頭の家族となっていた。

世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「いたすけ古墳(いたすけこふん)」として、前方後円墳(146m)、NO.M35で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける百舌鳥古墳群のリストも参照。

【関連サイト】
いたすけ古墳 - 堺観光ガイド

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