・所在地:大阪府堺市石津町2-1-50

・時 期:4世紀末
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
百舌鳥古墳群の最も南西に位置する前方部を南西に向けた前方後円墳で、元の規模は全長150メートル、後円部の径94メートル、高さ14メートル、百舌鳥古墳群では6番目の大きさ。国の史跡。

前方部の大半は削られてしまい、3段に築かれた後円部のみが現存。周囲に巡っていた濠も埋められている。しかし周濠については、後円部西側で幅約30メートルという大規模なものだったことが分かっている。

墳丘には葺石(ふきいし)があり、埴輪が立てられていたことが確認されている。昭和47年(1972年)に、埋葬部分の確認調査が行われ、後円部中央で粘土で覆われた長持形石棺(ながもちがたせっかん)が検出され、粘土からは車輪石(しゃりんせき)などの腕輪形石製品が出土した。

乳岡古墳が築かれたのは、石棺の形や遺物から4世紀末頃と考えられ、百舌鳥古墳群で最初に造られた大型前方後円墳となる。石棺は埋め戻されたが、出土物の腕輪形石製品は堺市博物館で展示されている。

世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「乳岡古墳(ちのおかこふん)として、前方後円墳(155m)、NO.M31で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける百舌鳥古墳群のリストも参照。

【関連サイト】
乳岡古墳 - 堺市

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