・所在地:大阪府羽曳野市島泉8丁目

・時 期:5世紀後半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)」として第二十一代雄略天皇の陵に治定されている。古事記には「河内の多治比の高鸇にあり」とされる。

古市古墳群に属し、その西北部に位置する円墳。島泉平塚古墳(方墳)に隣接し、「雄略天皇陵」「雄略陵古墳」「高鷲丸山古墳」とも。墳丘の直径は約76メートルで、幅約20メートルの濠がある。

円墳が少ない古市古墳群にあって、かなり大規模な円墳。陪塚として、隼人塚古墳などがある。

隣接して、島泉平塚古墳(方墳)があるが、こちらも含めて「丹比高鷲原陵」とされる。

雄略天皇陵については、宮内庁が被葬候補者を雄略天皇として「大塚陵墓参考地」と治定する河内大塚山古墳(大阪府・松原市)や、宮内庁が「惠我長野西陵」として第十四代仲哀天皇の陵に比定している岡ミサンザイ古墳(大阪府・藤井寺市)ではないか、などの説がある。

雄略天皇は、第十九代允恭天皇が父。兄に第二十代安康天皇がおり、子に清寧天皇がいる。古事記においては、祖父・第十六代仁徳天皇ほどではないにしろ好色で、すぐにキレて殺っちゃう暴君的に描かれている。

なお、父の允恭天皇の陵は市ノ山古墳(大阪府・藤井寺市)に治定され、これとは別に津堂城山古墳(大阪府・藤井寺市)が「藤井寺陵墓参考地」として治定されている。また、兄の第二十代安康天皇の陵は古城1号墳(奈良県・奈良市)に、自身が殺害した安康天皇暗殺犯マヨワなどの墓はジヲウ古墳(奈良県・吉野郡)に、それぞれ治定されている。

天皇家の系譜も参照。

世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「雄略天皇陵古墳(島泉丸山古墳)(ゆうりゃくてんのうりょうこふん(しまいずみまるやま))」として、円墳(75m)、NO.F3で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける古市古墳群のリストも参照。
島泉平塚古墳と島泉丸山古墳(大阪府・羽曳野市)
【関連サイト】
島泉丸山古墳

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