・所在地:大阪府堺市北区百舌鳥西之町3丁

古墳ランキング > 8位
大王(オオキミ)墓候補

・時 期:5世紀後半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:陵墓参考地

【概要】
宮内庁により「東百舌鳥陵墓参考地」(被葬候補者:第十八代反正天皇、しかし被葬はされておらず空陵)として陵墓参考地に治定されている。陪塚として、寺山南山古墳などがある。

百舌鳥古墳群の南東の端に位置する前方後円墳。墳丘は3段構築で全長は約290メートル、後円部の径は約156メートル・高さ約24メートル、前方部の幅は約226メートル・高さ約22.5メートルで、日本で8番目の大きさ。

現在の周濠は一重だが、二重目の濠が一部確認されている。2012年に墳丘裾の護岸工事の際に行われた調査では、現在の墳丘の端から5メートル外側の濠の底から本来の裾部分が見つかっており、全長が300メートルを超えていた可能性が指摘されている。

同じ百舌鳥古墳群の田出井山古墳が反正天皇陵に比定されているが規模が小さい(全長約148メートルで、この古墳の約半分)ために、こちらを反正天皇陵とする説がある。

以前は長谷山(はせやま)と呼ばれていた。その発音が反正山(はせやま)に類似しているため、反正天皇の空陵(からみささぎ)であったとする説もある。第十七代履中天皇の殯(もがり)の場所の跡とする説も。また、江戸時代、この古墳は「反正陵」とする伝承が、地元では伝わっていた。

5世紀後半の築造と考えられており、百舌鳥古墳群の大型古墳の中では最も時代が新しい。

古墳の濠に接するように土師町(はぜちょう)がある。土師町は古代の土師郷であり、集落内には奈良時代の土師寺跡がある。古墳造営の指揮や大王の葬送儀礼に従事する集団・土師氏(はじし)の一系統が居住し、この古墳や、周辺の百舌鳥古墳群の築造に当たったと考えられる。

世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「ニサンザイ古墳(にさんざいこふん)」として、前方後円墳(290m)、NO.M42で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける百舌鳥古墳群のリストも参照。
土師ニサンザイ古墳(大阪府・堺市) by Googleアース - ぶっちゃけ古事記
【関連サイト】
土師はぜニサンザイ古墳 百舌鳥古墳群で3番目、全国でも8番目の規模を誇る前方後円墳

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