・所在地:大阪府堺市西区石津ケ丘

古墳ランキング > 3位
大王(オオキミ)墓候補

・時 期:5世紀前半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)」として第十七代履中天皇の陵に治定されている。

百舌鳥古墳群に属し、「石津ヶ丘古墳(いしづがおかこふん)」「百舌鳥陵山古墳(もずみささぎやまこふん)」とも呼ばれる前方後円墳で、5世紀前半の築造。全長約360メートル、後円部径205メートル、高さ約25メートル、前方部幅約237メートル、高さ約23メートルで、日本で3番目の大きさ。

後円部が北側に配置され、西側に造り出しを有する。現在の周濠は一重だが、二重目の濠が確認されている。

陪塚として、七観音古墳東酒呑古墳経堂古墳などがある。

すぐ北側にある、第十六代仁徳天皇の陵に治定されている大仙陵古墳よりも若干早く築造された可能性が指摘されている。そうすると、履中天皇は仁徳天皇の子であるため、矛盾が生じるという。

履中天皇は、父が仁徳天皇、弟に第十八代反正天皇、第十九代允恭天皇がいる。大仙陵古墳を超えて、さらに北側に位置する田出井山古墳が反正天皇の陵に治定されている。

古事記では、難波で泥酔して爆睡している時に弟に反逆され、命からがら石上神宮に逃れ、別の弟の反正天皇を唆す形で、反逆した弟の討伐を命じる姿が描かれている。

なお、父の仁徳天皇の陵は上述の通り、母のイワノの陵はヒシアゲ古墳(奈良県・奈良市)に、これとは別に陵墓参考地としてコナベ古墳(奈良県・奈良市)に、弟については、反正天皇についても上述の通りだが、允恭天皇の陵は市ノ山古墳(大阪府・藤井寺市)に、それぞれ治定されている。天皇家の系譜も参照。

子のイチノベノオシハイイトヨノイラツメの陵墓はそれぞれ古保志塚(滋賀県・東近江市)、北花内大塚古墳(奈良県・葛城市)に治定されている。

世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「履中天皇陵古墳(りちゅうてんのうりょうこふん)」として、前方後円墳(365m)、NO.M25で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける百舌鳥古墳群のリストも参照。

本古墳の北東にある大仙公園は、本古墳と大仙陵古墳が挟むような形で立地しており、「日本の都市公園100選」(1989年)、「日本の歴史公園100選」(2007年)に選ばれている。
上石津ミサンザイ古墳(大阪府・堺市) by Googleアース - ぶっちゃけ古事記
【関連サイト】
上石津ミサンザイ古墳 - Wikipedia

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