・所在地:奈良県御所市冨田153

・時 期:-
・時 代:-
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「白鳥陵(しらとりのみささぎ)」として第十二代景行天皇の皇子ヤマトタケルの陵に治定されている。軽里大塚古墳(大阪府・羽曳野市)と区別して、「琴引原白鳥陵」と言われる場合もある。

日本書紀の巻第七によれば、ヤマトタケルは白鳥となって能褒野を飛び立ち、まず大和国琴弾原にとどまり、そこに「陵」を造ったところ、さらに白鳥となって河内国旧市邑に行き、とどまったので、そこにも「陵」を造ったが、また白鳥となって天に上った、という。最初の能褒野の陵、大和琴弾原の陵、河内国旧市邑の陵の三陵を時人は「白鳥陵」と呼んだという。

大和琴弾原の陵が御所市冨田の地に比定されたのは、御所市役所によれば、「御所市史」に「琴ひき原」と呼ばれる地の御茶山という塚が白鳥陵ではないかと書かれており、それが根拠となっている、という。

ヤマトタケルは東国遠征からの帰還中、伊吹山の神退治を侮り、瀕死の重傷を負う。その後、能煩野まで来たが同地で薨去。同地で葬式が行われ、陵が築かれたことが古事記にも記されている。現在では能褒野王塚古墳(三重県・亀山市)が「能褒野墓」としてヤマトタケルの墓に治定されている。

その後の白鳥伝説は古事記にも描かれているが、日本書紀ほど詳細にはない。日本書紀の記述を参考に、宮内庁では三陵(亀山市の日本武尊能褒野墓、御所市の日本武尊琴引原白鳥陵、羽曳野市の軽里大塚古墳日本武尊白鳥陵)を治定していると思われる。三市ではこの縁を通じて、毎年持ち回りでイベントなどを開催するなど、協力している。

なお、父である景行天皇の陵は渋谷向山古墳(奈良県・天理市)に、母イナビノオオイラツメの陵は日岡陵(兵庫県・加古川市)に、実兄であり、古事記では自身が殺したとされるオオウスの墓は大碓命墓(愛知県・豊田市)に、実弟のカムクシの墓は神櫛王墓(香川県・高松市)に、異母兄弟である第十三代成務天皇の陵は佐紀石塚山古墳(奈良県・奈良市)に、子である第十四代仲哀天皇の陵は岡ミサンザイ古墳(大阪府・藤井寺市)に、それぞれ治定されている。

また、最愛の叔母ヤマトヒメの墓は尾上御陵(三重県・伊勢市)が宮内庁によって管理されている。

なお、熱田神宮(愛知県・名古屋市)では、創祀者とも言うべき、ヤマトタケル妃ミヤズヒメの陵を、熱田神宮北西数百メートルにある断夫山古墳とし、また熱田神宮の西方、断夫山古墳の南方にある白鳥古墳をヤマトタケル陵としており、現在も毎年5月8日に御陵墓祭を行なっている。

【関連サイト】
日本武尊白鳥陵 (御所市富田) - ならリビング.com
日本武尊の三陵(三重県・奈良県・大阪府)<2007年5月>

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