・所在地:奈良県御所市玉手494
・経緯度:北緯34度45分54.34秒 東経135度74分91.13秒

・時 期:-
・時 代:-
・形 状:円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)」として第六代孝安天皇の陵に治定されている。公式形式は円丘。古事記には「玉手崗上」とある。

中世に陵の所在が失われ、江戸時代の元禄年間以来検討されて室村のとある古墳が擬せられたが、『歴帝陵』の一本および『大和志』が現在の地を推して以来、定説となった。幕末の修陵の時におおいに修治が加えられた。

孝安天皇は、父が第五代孝昭天皇。子に第七代孝霊天皇らがいる。

古事記には皇居が大和の葛城の室秋津島宮(むろのあきづしまのみや)とあるだけで、具体的な事績は伝わらない。欠史八代の一人に数えられる。123歳で崩御。

なお被葬者とされる孝安天皇の父・孝昭天皇の陵は博多山古墳(奈良県・御所市)に、子の孝霊天皇の陵は片丘馬坂古墳(奈良県・北葛城郡)に治定されている。

関係は、天皇家の系譜に詳しい。

【関連サイト】
第六代 孝安天皇玉手丘上陵