・所在地:奈良県橿原市四条町229

・時 期:-
・時 代:-
・形 状:円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)」として第二代綏靖天皇の陵に治定されている。古事記には衝田岡(つきだのおか)とある。

直径約20メートル、高さ3.5メートルの円墳で、この墳丘を中心にして約70メートル四方の方形に区画されている。俗称は「塚根山(塚山)」。

江戸時代の元禄探陵の際に諸説が生じ、慈明寺町のスイセン塚古墳(前方後円墳、墳丘長55メートル)に綏靖天皇陵が比定され、この古墳は神武天皇陵に比定されたが、幕末修陵に際して改められ、明治11年(1878年)に綏靖天皇陵として治定された。

神武天皇陵として治定された四条ミサンザイ古墳とともに、四条古墳群に属する。この古墳群の多くは藤原京造営の際に破壊されたようだが、四条ミサンザイ古墳と、この四条塚山古墳は藤原京の京域からはずれたため、破壊を免れたという。

綏靖天皇は初代神武天皇が東遷終了後、皇后に迎えたイスケヨリとの間の皇子(三人兄弟の末っ子)で、古事記において、登場機会は多くないものの、印象的な活躍をする天皇。しかし、第二代から第九代を非実在とする欠史八代として一括りされる場合もある。

なお被葬者とされる綏靖天皇の父・初代神武天皇の陵は上記の通り四条ミサンザイ古墳に、子の第三代安寧天皇の陵はアネイ山古墳(奈良県・橿原市)に治定されている。

関係は、天皇家の系譜に詳しい。

【関連サイト】
2010.12.27 四条塚山古墳(綏靖天皇桃花鳥田丘上陵)

【関連記事】
綏靖天皇陵 - 古事記では大活躍の二代目天皇も、陵墓は初代に遠慮?