・所在地:奈良県桜井市箸中1090

古墳ランキング > 11位
大王(オオキミ)墓候補

・時 期:3世紀半ば
・時 代:古墳時代前期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「大市墓(おおいちのはか)」として第七代孝霊天皇皇女のヤマトトモモソヒメの墓に治定されている。

纒向遺跡の箸中に所在する箸中古墳群(纒向古墳群とも)の盟主的古墳であり、全国でも最古級と考えられている3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳。

全長約278メートル、後円部は径約150メートル、高さ約30メートル、前方部は前面幅約130メートル、高さ約16メートル。

周辺地域の調査結果から、本来はもう一回り大きかったものと思われる。全国第11位の規模。

五段築成(四段築成で、後円部に小円丘が載る)は箸墓古墳のみ。墳丘の裾に幅10メートルの周壕とさらにその外側に幅15メートル以上の外堤が存在していたことが確認され、巨大な前方後円墳がその最古の時期から周壕を持つことが分かった。

この時期には埴輪列はまだ存在していないが、宮内庁職員によって宮山型特殊器台・特殊壺、最古の埴輪である都月型円筒埴輪などが採集されており、これらが墳丘上に置かれていたことは間違いない。

また岡山市付近から運ばれたと推測できる特殊器台・特殊壺が後円部上でのみ認められるのに対して、底部に孔を開けた二重口縁の壺形土師器は前方部上で採集されており、器種によって置く位置が区別されていた可能性が高い。

魏志倭人伝に記載されている卑弥呼の墓ではないかとの指摘がある。その説であれば、当然この一帯が邪馬台国の所在地、ということになる。

その場合、ヤマトトモモソヒメが卑弥呼その人か、ヤマトトモモソヒメではない別人に卑弥呼がいた、あるいはその他など様々な説が提唱されている。

なお、この古墳の真東には、国津神社檜原神社があり、この古墳は西端を淡路島の舟木石上神社、東端を伊勢湾神島の八代神社とする、いわゆる「太陽の道」の中間点とされる。
箸墓古墳(奈良県・桜井市) by Googleアース - ぶっちゃけ古事記
【関連サイト】
箸墓古墳 - Wikipedia

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箸墓古墳模型(国立歴史民俗博物館蔵) - 坪井清足監修『卑弥呼の時代を復元する―復元するシリーズ〈1〉』P15