・所在地:奈良県天理市柳本町
・経緯度:北緯34度55分71.81秒 東経135度84分55.76秒
・時 期:4世紀前半
・時 代:古墳時代前期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:県史跡
【概要】
全長113メートルの前方後円墳で、柳本古墳群に属する。伊射奈岐神社の境内に含まれる。行燈山古墳から至近で、その陪塚ともされている。また、黒塚古墳(いずれも奈良県・天理市)に近い。
昭和35年(1960年)に県道桜井・天理線を拡幅して国道にする計画がスタートし、古墳の東半分が削り取られることになった。そこで、緊急発掘調査を実施したところ、後円部から合掌式の竪穴式石室が見つかった。
石室内には竹割形の木棺が置かれ、中央部分に約41キロの水銀朱があった。さらに、木棺の内側には周囲を囲むように20面の銅鏡が並べられていた。木棺の小口板の外側からも3面の鏡や鉄刀・鉄剣、鉄鏃、鉄鉋、土師器の破片などが見つかった。
出土した23面の銅鏡には、至近の黒塚古墳から大量に見つかった三角縁神獣鏡は含まれず、方格規矩神獣鏡6面、画文帯神獣鏡4面、内向花文鏡4面、画像鏡2面、獣帯鏡1面、斜縁二神一獣鏡2面、獣形鏡3面、人物鳥獣文鏡1面。
人が埋葬された形跡はなく、行燈山古墳の陪塚であるならば、行燈山古墳の被葬者の宝物を納めた古墳の可能性がある。行燈山古墳は宮内庁により「山邊道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)」として第十代崇神天皇の陵に治定されている。
【関連サイト】
・創立70周年記念特別展示「橿原考古学研究所発足の頃」
・重要文化財 奈良県天神山古墳出土品 23面 ほか - 奈良国立博物館
【関連記事】
・伊射奈岐神社 - オトタチバナ娶って間もないヤマトタケルが遠征前に参拝した古社
・経緯度:北緯34度55分71.81秒 東経135度84分55.76秒
・時 期:4世紀前半
・時 代:古墳時代前期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:県史跡
【概要】
全長113メートルの前方後円墳で、柳本古墳群に属する。伊射奈岐神社の境内に含まれる。行燈山古墳から至近で、その陪塚ともされている。また、黒塚古墳(いずれも奈良県・天理市)に近い。
昭和35年(1960年)に県道桜井・天理線を拡幅して国道にする計画がスタートし、古墳の東半分が削り取られることになった。そこで、緊急発掘調査を実施したところ、後円部から合掌式の竪穴式石室が見つかった。
石室内には竹割形の木棺が置かれ、中央部分に約41キロの水銀朱があった。さらに、木棺の内側には周囲を囲むように20面の銅鏡が並べられていた。木棺の小口板の外側からも3面の鏡や鉄刀・鉄剣、鉄鏃、鉄鉋、土師器の破片などが見つかった。
出土した23面の銅鏡には、至近の黒塚古墳から大量に見つかった三角縁神獣鏡は含まれず、方格規矩神獣鏡6面、画文帯神獣鏡4面、内向花文鏡4面、画像鏡2面、獣帯鏡1面、斜縁二神一獣鏡2面、獣形鏡3面、人物鳥獣文鏡1面。
人が埋葬された形跡はなく、行燈山古墳の陪塚であるならば、行燈山古墳の被葬者の宝物を納めた古墳の可能性がある。行燈山古墳は宮内庁により「山邊道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)」として第十代崇神天皇の陵に治定されている。
【関連サイト】
・創立70周年記念特別展示「橿原考古学研究所発足の頃」
・重要文化財 奈良県天神山古墳出土品 23面 ほか - 奈良国立博物館
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